語る、また語る

いつもにプラスα

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先生の人生

小学校一年生から七年間、
近所のピアノ教室へ通っていた。

ピアノを弾くのは、
先生の自宅の二階の端の部屋。

先生は就学前の小さい子どもがいたので、
いつも私は先に行っているように言われた。

毎回やや狭い階段を
少しどきどきしながら上がっていた。
左に曲がるとその部屋がある。

東側にピアノ、
西側に大きなエレクトーンと窓、
北側にもう一つの窓。

南側の壁は本のスペースだった。
小学生の高さくらいの
カラーボックスのような
簡易的な棚がいくつか並んでいて、
小ぎれいな柄の布が前面をおおっていた。

私が先生を待っていたのは、
その本棚とエレクトーンにはさまれた
わずかなスペースで、
四本脚のガラステーブルの下に
敷いてあった硬い絨毯の手触りを
今でもよく覚えている。

先生はすぐに来るときもあれば、
なかなか来ないときもあった。

待っている間に私がしていたことは、
その小ぎれいな布をめくって、
ぎっしり並べられた本の中から
一冊選んでこっそり見ることだった。

なぜそんなことをしていたのかというと、
子どもながらの好奇心だった。
半分、先生のプライベート空間である
本棚の中を覗いてみたい。
今振り返るとそんな感じだろうか。

私の手の届くところにあったのは、
お菓子の本が多かった。

よく家にある母のレシピの本を
眺めていたので、
それらの本を見るのは楽しかった。

見ていいと言われたわけではないので、
先生が階段を上がってくる音が聞こえると、
すばやく本棚に戻し、
何食わぬ顔で先生を迎えたものである。

元あった場所に戻せていたはずもなく、
先生は気づいていたかもしれないが、
何も言われたことはなく、
また相当な数の本があったので、
気づいていなかったかもしれない。
(先生、すみませんでした…)

ピアノは七年も続けたわりには、
驚くほどは上達はしなかった。

でも、ゆったり練習できたのはよかった。
先生の方針で発表会などはなかったし、
一曲を早く弾けるようになるように
強く求められることもなかったからだ。

中学生になり部活を始めると
だんだん練習する時間がとれなくなり、
ピアノを弾くことを
楽しめなくなってきたので、
そのころにやめてしまった。

それからは先生と会うこともなくなった。

大学生のころに帰省したとき
母から聞いたのだが、
その後、先生は自宅を増築して
パン教室を始めたらしい。

私が隠れて見ていた本は、
レシピの本が多かったと書いたが、
先生はお菓子やパンをつくるのが
好きだったのだ。

たまに多くつくった分を
余ったからと言って、くれた。

私はあの本棚のすべての本を
見たことはなかったが、
今思うとどんな本があったのか
少し気になる。

きっと、たくさんの本と一緒に、
先生のいろいろな想いも
そこにあったんだろう。

とても華奢な先生だった。

ピアノを教えて、
その次はパンづくりを教える。
行動力にあふれた生き方だと思った。


私の本棚はどうだろう。

読んでしばらくした本で、
もういいかなと思う本は
すぐ手放してしまう方だから、
まだまだ収納できそうである。

今週のお題「本棚の中身」