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谷川俊太郎の詩「春に」~相反する気持ちは、みんなもってる~

谷川俊太郎さんの詩に
メロディーをのせた「春に」という
合唱曲が昔から好きだ。

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「春に」のテーマは、
相反だと思っている。

春に

この気もちはなんだろう
この気もちはなんだろう
目に見えない エネルギーの流れが
大地から足のうらを伝わって

この気もちはなんだろう
この気もちはなんだろう
ぼくの 腹へ 胸へ そうして
のどへ 声にならない さけびとなって
こみあげる この気もちはなんだろう

枝の先のふくらんだ 新芽が
心を つつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そして いかりが かくれている
心のダムに  せき止められ
よどみ 渦巻き せめぎあい
いま あふれようとする

この気もちはなんだろう
この気もちはなんだろう
あの空の あの青に 手をひたしたい
まだ会ったことのない すべての人と
会ってみたい 話してみたい
あしたとあさってが 一度にくるといい
ぼくはもどかしい

地平線のかなたへと 歩き続けたい
そのくせ この草の上で じっとしていたい
声にならない さけびとなって こみあげる
この気もちはなんだろう


よろこびとかなしみ、
いらだちとやすらぎ、
あこがれといかり、
歩き続けたいけれど、
草の上でじっとしていたい。

どの気もちも反対のことをいっていて、
でもそれが同じ土俵で存在している状態が、
この詩には描かれている。

よろこびがあるけど、
かなしみもあるときは、
どんなときだろう。

今が充実していて「うれしい」けれど、
今にはもう戻れない。
時間は過ぎていくものだから、
「かなしい」と思う。

いらだちに加えて、やすらぎ?
安心した環境だから、
苛立てるということか?

あこがれといかりについては、
わかりやすいかもしれない。

あこがれるけれど、
あこがれの対象にはなれない、
または今は近づけない自分に、
いかりも感じてしまう。

歩き続けたいけれど、
草の上でじっとしていたいというのは、
あれもしたいけど、これもしたい、
同時にはできないけど両方したいのような、
多感な時期によくある、はやる気もちか。

この詩を読むと、
わいてくる気もちの正体を、
"なんだろう"と問いかけ続ける
少年少女のすがたが
浮かんでくるような気がしてくる。

春、つまり思春期に、
こうやって自分と向き合って、
おとなになっていくんだろうな。

あと、
「あの空の あの青に 手をひたしたい」の
ところは、青春みたいなものが
見え隠れしていて、美しいと感じる。

いつ読んでも、
こころ洗われるような詩である。