まわりを取り巻いている
きびしいやさしさ*1。
なぜ、やさしさは、
きびしくなったのでしょうか。
その理由として、自分の人生にこそ
もっとも価値があるという考え方
(人生の自己目的化)があげられています。
人生の自己目的化が、
人格崇拝、楽しさ至上主義、
能力開発への情熱を生み出し、
きびしいやさしさ(予防的やさしさ)に
つながっているというのです。
日本社会の「人格崇拝」
かつての日本(明治後半~昭和初期)では、
自己は、もっとも価値のあるものとは
みなされていませんでした。
それぞれが、自分の所属する
イエ・土地・血筋を守ることを
最優先にしていました。
その後、ひとびとは、
戦時下は国家のために生き、
高度経済成長期は会社のために生きます。
ところが昨今では、イエや国家、会社の
神聖さは多くのケースで衰退したため、
日本人は自分のために
生きるしかなくなったのです。
楽しさ至上主義と能力開発への関心
イエや国家、会社のために
生きた人たちは、
自分が持っているものを
すべて使い切るのではなく、
後継者に残しておこうとします。
反対に現代人は、
自分の人生は自分だけのものと捉えます。
一度きりの人生だから
人生を楽しみたい(楽しさ至上主義)、
また、自分の能力を余すことなく
つかわないともったいないと思うのです。
対等性の原則を維持するために
現代の日本人が人と関係するとき、
強く守ろうとする原則が、
対等性の原則です。
対等性の原則とは、
"人間関係、とくに仲間うちの人間関係は、
対等であるべき"というものです。
友人に悩みを相談すると、
自分が相手より下になるから相談しない、
価値観や意見を表明されると、
聞いた側は劣位にいるように
感じるなどがあります。
しかし、この対等性の原則は、
前述の能力開発と反するのです。
能力を伸ばし、
人より抜きん出たいと思うことは、
競争であり、結果優劣がついてしまいます。
それでは、集団が維持できないから
とられる方法が、能力の違いを隠して、
みんな対等と思える関係をつくることです。
たとえば、メンバーそれぞれが
自分の「キャラ」を設定し、
能力という縦の違いではなく、
横の違いによって結ばれていることにして、
楽しく時間をすごそうとするのです。
そこでは、ひとを傷つけて、
「場がシラケる」ことのないよう、
きびしいやさしさ(予防的やさしさ)が
実践されるということなのです。
つまり、対等性の原則を根拠に、
自己目的化から生じる
能力開発の情熱と反しないよう、
相手を傷つけずに
楽しくありたいという思いが、
きびしいやさしさを生むというわけです。
参考文献 森真一著『ほんとはこわい「やさしさ社会」』、ちくまプリマ―新書、2008年