語る、また語る

いつもにプラスα

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日常系映画には、リアリティがほしい

映画は「つくられたもの」である。
しかし、リアリティがあってほしい。

特定の映画を批評したいわけではなく、
映画全体としての話だ。
わたしが映画に求めるもののひとつが、
リアリティというわけなのだ。

ファンタジーとか、アクションとか、
SFといったジャンルであれば、
もともと非現実的な設定ありきな
ところがあるため、あまり気にはならない。

しかし日常系となると、
細かいところに目がいく。

この部屋はいかにもなつくりもので、
生活感がない。

この建物の看板、とってつけたようで、
不自然。

寝ているときの化粧は、ありなのか。


ストーリーに集中せずに、
そんなところを見てしまう自分は、
むかしに比べて擦れたものである。


一口にリアリティといっても、
人によって違いはあって、
わたしがリアリティがあると思っても、
他の人は「ない」と思うかもしれないし、
制作側の都合もいろいろあるだろう。

ただ、わたしにとって
リアリティがあるものを観れたとき、
その映画を好きになるだろうし、
いい映画だったと感じる傾向がある。


となると、邦画より洋画の方が
いいのかもしれない。

現地の人たちからしたら
口出ししたいことばかりだったとしても、
日本に住んでいるわたしには、
そもそもリアリティもなにも、
ないのだから。

 

いや、リアリティがあるというより、
リアリティがあるかわからないから、
リアリティがあるように
錯覚しているということになるだろう。

邦画のように文句のようなものが、
いちいち頭に浮かんでくることは少なく、
純粋に映画を楽しむことができるといえる。

ついでに書くと、
ここ数年の特別な状況下での
映画とドラマにおいては、
ますますリアリティがなかった。*1

 

入り口に消毒がない、
パーテーションもない、
人同士の距離が近い、
そもそも口が布で覆われていない。

ああ、やはり「つくりもの」なんだと、
一歩下がって観てしまうのが
歯がゆかった。

つくりものに見えないつくりものを
わたしは求めている。

*1:そのものを扱ったり、反映している作品もなかったわけではない。