語る、また語る

いつもにプラスα

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話は急がず

個人的なことを人に話すにも範囲というものがあって、すべて話す、部分的に話す、まったく話さないを、相手によって度合いを変えて使い分けることを負担に感じたことはなかった。しかし人と話していて気を遣って疲れるのは、その使い分けが関係しているのかもしれなかった。

自分は人に話したくないことがはっきりしているらしく、しかしそれらを複数から聞かれることがあり、放っておいてほしいと思いながら、後味がよくない対応をしている。人に話したくないことなのだから、後味がよくなるわけもないので結構なのだけれど。

ほんとうに話したくないことができてこのかた、相手にもそういうことがあると実感し、気軽に相手に尋ねることをしばし躊躇するようになった。相手が話題に出してその流れでというのは聞きやすいけれど、個人的なことを唐突に聞くことはできずに迷って、そういうときはだいたい聞かず、お互いのことを知るのに年単位で時間がかかったりする。若いときに急に距離を縮めるようなやり方をしていたのでもどかしくもあるが、こういうのもありなのだろう。相手の属性とかそれこそ年齢とか、それらを知らなくても人と関わることはできる。むしろ、先入観や思い込みが少ないともいえる。

つまりは自分は人に興味あるし、裏を返せば、「人が気になる」とか「人と比べる」ということなのである。これを読んでいる方は、どんなことを考えながら個人的な話をしているのだろうか。今度友人に聞けたら聞いてみようと思った。