語る、また語る

いつもにプラスα

 本サイトのリンクから商品を購入すると、本サイトに収益の一部が還元されます。

違います

自分と「同じ」だという前提だと苦しい、自分と「違う」という前提だと苦しさが和らぐ、前にも似たようなことを書いたのかもしれない。

「同じ」という前提が自分のなかでつくられたのは確かだが、その起源は不明だ。起源も何も、関わってきた出来事のによって、連綿とリレーされている感があった。

自分の調子にもよるけれど、身内でも何でも、人に警戒心らしきものを持つことがあり、自分の投げかけに対して思いもよらぬ返しがあると、戸惑うことがある。こういう反応があるだろうという予想が外れたことへの戸惑いだと思うのだが、そもそも相手の反応を予想しながら会話していることに今更ながら気づく。

勝手に自分だったらこうやって返すとか、こういった返しであってほしいとか予想して外れたら悲しくなったり焦ったり。感情は否定しないけれど、そうやって自分一人で一喜一憂しているのは独りよがりなのかもしれない。

ある趣向なども、自分が好きでやっているのに相手の趣向が自分と違うと、不安になったり自信を失くしたり、同じであるから安心なんていうことはないはずであるのに、ここに来てまで皆で同じ制服と決められていたころの価値観がもたげてくる。

相手の反応に、何かが違う感じるのも、そもそも「違う」のだから自然なことなのだ。「違う」のに「同じ」にしたい、「同じ」でなければ思うから苦しい。ただ話すことを楽しむのであれば、「違う」から始めることは軽快なことでもあるのだ。