自分のコンプレックスをえぐるような文章を読むのは不快である。不快なのだけれど、克服までとはいかないが今より快適な付き合いをしたいので不快ながらも読む。もちろん調子の良いときでないと、ふとコンプレックスが幅を利かせてきたりして困る。
コンプレックスは自分だけで生み出したものではなく、社会とかいったものの中で渦巻いているもののようにも思われる。
だから何をするわけでもないのだが、せめて知ることやどうしたらいいのかと考えようとする。人にはなかなか話す気にならないので、文章を書いた人に相槌を打った気になっている。