語る、また語る

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「流す」をほぐす

私たちが人の話を聞くときに使うのは、少なくとも理性と感情だとふと思った。自分の場合を考えてみると、まず相手が何を言っているのかを言葉として理解するために理性を使い、それから感情が反応しているからだ。自分がどういう風に人の話を聞いているのかを考えたことがある人なら(自分が真面目に考えたのはこれを書こうとしてからであったが)、理性だけで理解して感情は挟まないやり方をされているのだろうかとも推測する。そうでなければ、カウンセラーなどの人の話を聞く人たちはたちまち感情があふれ仕事にならないだろう。私はすぐに感情で反応する方なので考えるだけで恐ろしい。

なぜいきなりこのようなことを言っているのかというと、先日言及を受けたからである。私が受け流すとは何ぞやと軽い気持ちで書いたものに対して、ご自身の経験なども踏まえ丁寧に考察をいただいた。

bluesilence.hatenablog.com


はじめに私は、受け流すとは聞いても相手の話を気に留めなかったり、別のことを考えて聞いていなかったりすることだろうかとぼんやり書いたのだけれど、それはそもそも聞いていない(無視している)ということであって、受け流すとは文字通り一旦"受け"る必要があるのではないかということであった。

 

受け流すには相手の話、態度を"受け"ながら必要なこと以外を水のようにさらりと"流すことである。受けるには相手の話、もっと言うと「何を伝えたいのか」を受けねばならない。(中略)
だから私が受けた訓練では、"受ける"際に"相手の一番言いたいことだけを抽出する"ことを徹底的に叩き込まれた。

 

だから聞き手は"俯瞰"しながら同時に"思考"し、"聞いていますよ"というサインを出す必要がある。

これを側から見れば"受け流す"に見えるのであろうと思う。


自分の場合、受け流せないことの多くは、感情が反応することによって起こっている。あまりに我慢ならずに相手に噛みついたり、自分の痛いところを突かれて感情が湧きだし思考が停止したりすることがある。だから「"受ける"際に"相手の一番言いたいことだけを抽出する"」というのは、感情はひとまず寄せておいて、相手の一番言いたいことは何かを理性で聞こうとすること、などと思ったのだった。

さらに自分は、相手の話を聞くときにあくまでも自分がどう考えて感じるかを優先しており、相手が一番言いたいことを抽出しているかなんて(以下省略)。また、すべてが言いたいことだろうから一生懸命聞こうとして、いちいち感情を反応させて疲れて、となっているような気もしている。

いずれにしても、相手が一番言いたいことを抽出するように聞くことは、やりとりをの俯瞰であり、俯瞰するということは理性を強めに使うこと、と考えたのであった。つまりそれは、は感情的な反応より理性が幅を利かせている状態なのではないかということだ。


と、いろいろと書いてはみたものの、アドバイスをいただいたように、要は力を抜きましょうなのだと思う。受け流せないときももちろん普段も、自分の呼吸は速く浅い自覚がほんとうにある。感情が理性がとかとやかく考えるより先に、ゆっくり吐いてしっかり吸います(ゆっくり吐くとしっかり吸える!)。