語る、また語る

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もし群像劇だったら

「小説書いたら?」

半沢直樹が流行っていたころに、職場の人に言われたことをたまに思い出す。その人いわく、題材はどこにでも転がっているのだから、ここにいたらいくらでも書けるでしょう、とのことだった。わずかな皮肉を感じつつも、そんなものなのだろうかという疑問も、やがて月日に流された。

先日居合わせたある場所での顛末が、まるで小説のようであった。自分を含めた何人かが物語の登場人物で、それぞれの思惑で押したり引いたりしながら話が進み、どことなく折衷されたように収まった。

群像劇とは、主人公一人からではなく、登場人物一人ひとりのそれぞれの目線から展開される物語の形式らしい。同じ出来事であっても、人によってこんなにも見え方が違っているという意外さがあるので群像劇はわりと好みである。

周りが高揚しているときにその状況を妙に冷めて見ていることがあったり、軽い話をしているときに周囲の様子を観察してしまうのは、そのときに余裕があることの表れのように思われる。そしてしばし群像劇をつくるならどうなるかと考えてみたりするが、しばらくするとブログにどう書くかに変わっている。