語る、また語る

いつもにプラスα

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悲観を楽観で包む

何かちょっとなあという相手の行動に、どういうつもりなのかありえないと一刀両断にしていたところを、相手にとっては理にかなった行動なのだろうと思い直すと、自分も少しは融通が利くようになったものだとひとしおである。すぐに苛立ちがまったく静まることはないが、こうして少し自分をほめると気分も少し上向く。あとは、こちらの都合を言葉にして相手に投げるかどうか、それもこちら次第だ。

どうもやりきれないので、先延ばしにしていた事務作業をして、支払い料金を振り込みに行く。コンビニエンスストアには長居したくないが、こういう日は少し自分に負荷をかけるというか、悲観を達成感で包むようなことをしたくなるのである。体力はある日だったから、身体は音源や音声を聞いたり文字を読むより、動くことに向かっていく。

ある感情に縛られているのであれば、別の感情を生じさせることによってそのある感情が徐々に置き換わることもある。過去に、悲観を反芻しないためには何か行動を起こすことだと書いた気がするが、おそらくそれも行動を起こすことによってまた何か感情が表れ、深いものは別にして、その悲観をやわらげるまたはひととき忘れるといった効果があるのだろう。