個人がまとまり一つの集合をつくるが、その個人は決して均一ではない。そして何もかもが十分に満たされた集団などはない。それでもどうにかこうにか形にしていくのであって、そしておそらくこの葛藤は、完全でないものを受け入れがたく思う自分が生み出している。それも自分にとって都合のよい完全なものである。
物事の一部のみを見てあたかもわかっているような気になっているときにさえ葛藤はある。あるいは、そういうものだと清濁を合わせられる人にも、葛藤はあるのだろうか。
自分にとって、葛藤はおそらく付きものだ。そして葛藤の末の何らかの決断には、あいかわらず大小内外の経験がいることはたしかである。