やられてやりかえしていたら、またやられると考えていたわけではないが、やられてもやりかえさなかった。やりかえさなかったというか、やりかえせなかったのだろう。
相手にやりかえしたときの相手の気持ちを思うやさしさも、道徳に反したことはしてはいけないという正義感も、大人に知れたら怒られるという恐怖も、相手にはかなわないという小心もあった。
たまったエネルギーを内に向け、相手を反面教師にして自分は"そう"ならないようにしようと、"そう"ならないようにいることで自分を保った。それがどんどん行き過ぎてがんじがらめになっていたけれど、そうする以外のことがわからない。大人が言った「いつか相手を見返したらいい」ということだって、そこまでして相手と自分を結んでおくのは酷な話だ。
防げたかもしれないというのは、あくまでも可能性であって何かが起こってしまった以上、その事実の前にただ立つしかない。自分のことですら、思いのままにすることはむつかしい。