2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
同じ人と同じような会話をしていても、お互いの心情とかその場の状況とかその日の環境とかは異なっていて、誰とでもどこでもどのようにでも合う万能な「言葉」はないのだろうと思う。けれども友人知人と話した後に相手が苦い表情だったときは、どういう言い…
洗濯物をたたむのが面倒である。空間が圧迫されるため、たたまないわけにもいかないのだが、とにかく面倒さ減らしたいということで「取り込みながらたたむ」ことを思いついた。 何が面倒なのか 取り込むときのポイント たたんだものをでかごに入れるときのポ…
向こうから歩いてくる黒い学生服が見える。あの学生服を来たことはなかったけれど、首が狭くて着にくそうな上に動きずらそうで、せっかく弟が持っていたのだし、一回くらい来てみてもよかったのかもしれない。橋の歩道のちょうど真ん中あたりで私たちはすれ…
もう何年も前に仕事で日常的にしていた交渉は、ただ投げられた球を打ち返すような場当たり的なものであった。客先を優先して動きたくなってしまい、じゃあこっちの都合はどうなのだと自分を引き戻したり、こうしてみると、もはやあれは「交渉」でも何でもな…
何だかんだで憂いている。危機回避のためとはいえ、憂うこと自体が自らを危機に陥れそうである。しかし自分ではどうしようもない憂いについては、いっそ放っておけばいいのかもしれない。放っておいて街に出るとか、放っておいて趣味に走るとかそんな感じで…
友人相手に大いに嘆くつもりが、ついおどけてしまう。そこには嘆いている人になりたくない見栄があった。相手もいろいろあるのだろうとそれとなく理由をつけて、つい最近聞いた音楽などの話でごまかしていたが、弱さを知られたくないだけなのかもしれなかっ…
待ち合わせから十分を過ぎても相手が来ないと、ほんとうに約束は今日だったのだろうかと不安になる。メッセージのやり取りを見直して確かめたり、もしかしたら来る途中に何かあったのではと疑う。とうとう相手が到着、ごめんスマホを家に忘れて連絡できなか…
潮流を受けて自分もそう思うのか、その潮流がなくても自分はそう思うのかいささか疑問である。潮流だから必ず"正しい"というわけでもないけれど、自分も共鳴するものがあるからその潮流に引きつけられるのだろう。潮流に乗りかけながら危うさも感じる。なか…
人にこう思われたいとか人にどう思われるかとかではなく、自分がしたいからしている人と、自分にはそこまではできないのだと思いながら話す。結成したばかりのバンドの音楽や個人経営の店舗の品ぞろえ、催しをやっている団体など、自分たちの善を信じて提示…
7月といえば京都では祇園祭がある。一度だけ訪れたことがあって、あの蒸し暑さの中にそびえる山鉾と夕暮れの提灯の灯り、行き交う人たちのことを思い出す。町内に入り、据えてある山鉾を見物し、観光客と言わんばかりにカメラにおさめ、お守りなどを買うため…
友だちになったオオカミに食べられてしまうことを恐れ、穴から出てこなくなったウサギとオオカミのやりとりが展開される物語があった。オオカミとウサギは友だちでもあり、食べる側と食べられる側でもある。また話の中で、ウサギはオオカミに、遊びや読み書…
徒歩で外出したら、庭に出られていた方がいて、前から話したかったことを話す。帰りに角を曲がるとまだその方が作業をされていて、回り道をしようと住宅街で方向を変えた。しかし、玄関から入ったときに、自分の様子があちらから見えないこともないため、ど…
ある道徳観について、自分と相手のずれにずっと引っかかっていたのだが、あるとき相手の道徳観に合うであろう出来事があった。相手の道徳観の根拠がわからず、何かにつけてあの人はどうしてあのような道徳観なのかと、その道徳観に疑念を持った。理解はでき…
他者の人間関係について個人的な相談されて、あの人がああで、この人がこうで、こうなってああなってと話を聞くのであるが、じゃあ、あの人とこの人はそれについてどういう理解をしていて、どんな感情があるのか知りたくなる。自分は片方から相談されている…
眠ろうとしたら、光永亮太の「Always」が聞きたくなり聞いていた。CDを持っていなくても聞ける、ああ現代。昔の曲を聞くのは流れた年月をたしかめるためかもしれない。もう十年単位で昔のことかと決まって感じるのと、よくもここまで…とがセットになっている…