語る、また語る

いつもにプラスα

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近いから少し後ずさる

文字は読む人の速度で読める。意味を考えようと思ったら、戻っても読める。音声配信は聞く人の速度を気にしない。聞く人の考えが追いついていなくても、話す人は話し続ける。聞く人が考えたいときは一時停止する。前の話を聞きたくても、書き起こさなければ…

誰かの声を聞き分ける

何人かでやっているラジオ番組を聞いていると、はじめのうちはどれが誰の声なのかまったくわからない。名前もおぼつかないから、こういう声の人やこういう声の人がいて、どうやら今まで話していた人とは別の人に、話している人が変わったようである。しかし…

ぶっきらぼうなようで

ざっくりした生地の靴下に足を通す。足がつつまれ、あたたかさが封じ込められていく。足が生地にくるまれて守られている。厚手の外衣をはおり外に出る。風は肌にまだやさしく、服と服にはさまれている気体が体を包んでいる。一本調子の言葉はぶっきらぼうな…

手に寄られ

二センチほどになった鉛筆は、鉛筆を回す小型の削り器では削れない。カッターナイフを手に、慎重にカッターナイフを動かし、やがて黒鉛が現れる。鉛筆削り器で量産される同じ鉛筆の先ではない、一つしかない形ができあがる。小さな鉛筆を削ったあとで、自分…

柿を干す

渋柿の皮を取り、ビニールひもでどうにかこうにか干せるような形に結ぶ。物干しにかけたときにこちらに二つ向こうに二つになるようにしてから、熱湯に五秒くぐらせて、ベランダにつるす。ここまで一時間かからない。えらい大きい袋に入れてくれたものだから…

声はとどまり文字は待つ

人の声というものを何回も聞いていると、本人の声がないところでも、自分の中でその人の声を再現できるようになる。まったく同じではなく、あくまで似たような声だろうけれども。図書館でおこなわれている絵本の読み聞かせに子どもと何年も行っているが、そ…

テーブルにみかん

テーブルにみかんが置かれている。橙の皮をかぶっていて、不ぞろいなみかんである。ちぎられた欠片もそのままにいくつかある。暖色がもたらしているのか、身体の芯にゆっくり灯がともる。柑橘の香りをふりまき、みかんが空間をプロデュースしている。小皿に…

話すときの言葉はそれほど近くない

ブログで726記事書いてきて、一記事400字くらいとしても30万もの文字になった。自分の書きたいことに言葉を合わせ、その合わせる速度も速く、精度が上がったように思われる。使われている言葉しか使えないから、今ある言葉が少ないようにも感じるときもある…

あまり言葉を選ばない音声配信を始めます

ここではどうしても自分自身を、まとまっていて、角がなく、良くみせようとしてしまう。ほんとうの自分というものはないと思うけれど、ある面では、自分は野暮な人である。野暮だからこそ、繕うのである。しかし、その野暮さの中により自分の伝えたいことが…

それならわかる

どのあたりが大袈裟なのかと聞いたところ、昨日のことを今日になっても考えている部分ということらしい。それは大袈裟ではなく別の言葉があてはまるのではと思いながら、その人にとっての大袈裟はそういうことなのだと納得した。自分自身に省みることがあっ…

打って変って

朝夕、昨日と今日、気温が上下している。昼間の車中では通気口から冷風が吹き出している。人に好かれたいから、無難だから、あるべきだからと、ふるまうことがあり、自らの捕らわれを感じることがある。場所は選ぶけれど、そうしなかったからといって印象が…

考えるのをやめたらそこで終わる

相手と自分、理想と現実、自分と社会の葛藤に何をするか、何ができるか考えることは、自分にとってはときに痛みを伴うが、考えることをやめたらそこで終わる*1。考えることをやめれば考えることの痛みはないが、何も変わらないことへの痛みはある。なるよう…

見えないのをよそに

階下に動く人たちを見ながら、地上にいるときはこんなに人を凝視しないだろうと思う。こちらが見えないのをよそにしているが、自分も顔まで識別できているわけはない。誰かがどこかに行っては帰るその一部分を見ている。土曜日と日曜日には人の往来はなく、…

明るみを隠して

セルフレジでレシートを取り忘れると、返品するときにひと手間かかる。幸いポイントカードで履歴が見れたらしく、住所と氏名と電話番号を書いて返品となった。図書館で貸出カードを忘れるたときも、同じことを記入すると借りることができる。靴下の"かかと"…

うらやましいから嵩増し

タブレットやテレビは二時間以内(小学校の夏休みの過ごし方に書いてある、かつ律儀に守ることにしている)、にしていると時間がない。自分が誘因しても困るからとまとまった時間がとれず、さわがしい小学生たちを横に文字を打つのも"よこしま"な気がする。…

野良犬

その犬はよくいた野良犬のようだった。あれよあれよと同じ小学校の友人の家に迎えられることになり、名づけられ、家が二つは入るであろう芝生の庭に住むことになった。リードを引く友人について夕方に公園を散歩した。犬の背に乗りたいと思いまたごうとした…

ねばってみて興じる

日の出の時刻が後ろに後ろに、これは秋風ではないかと顔を上げる。くたびれていなくても半日に一回は目を閉じる、できれば寝転ぶ、そして眠ることによって、暑さにやられそうになりながらもまあまあシャキッとはしている。よく昼休憩のときに、少し寝てから…

見えない実体にできること

人に合わせる部分というのは、人の単位が大きくなるほどにその実体が見えなくなり、自分が何に合わせているのかわからなくなる。分けていけば人と人であるのに、それを考えなくなった途端に、人の集まりは脅威にもなる。寄った人たちに合わせるところもあり…

一口に人に頼れず

個人的なことを誰かに頼った方が楽になることもわかるが、自分の期待するものと相手の期待するものをすり合わせる自分の労力が追いつかない。その労力をかけるくらいなら、できることは限られるけれど自分のできる範囲でとなることがある。善意しかやりとり…

傍らで「ハリー・ポッター」

小学生が傍らで「ハリー・ポッター」を読むので、こちらもつられてシリーズ三作目まで借りてきた。主人公ハリー・ポッターがここまで果敢というか、突き進んでいく人物だとは思わなかった。いや映画を見た十代のころならハリーに共感していたかもしれない。…

盆中小盛り

蝉の鳴き声と隣り合う朝は、いかなるスイッチを押さなくても音にあふれている。無音でどうにかなりそうなことは、少なくとも夏にはないかもしれない。食を律しているので身体には良いのだろうが、律することによるストレスもまあまあである。そこまで厳しく…

もはや確信犯

人と話すときに、自分と相手が話す割合を意識する。話を広げるために相手に聞くことはできるけれど、こちらが聞きすぎていないかを気にする。それならと自分のことを話していると、今度はこちらばかりが話していないかと心配になってくる。たまたま隣になっ…

散漫は、警戒心と好奇心から

周りをよく見るのは、自分の警戒心からだろう。周りにどんな人がいるか、知っている人か知らない人か気になる。人から見つけられるより人を見つけたかったりもするから、人への好奇心というのもあるが、警戒しているから興味を持っているようでもある。まる…

つきつめたさの温度差

人には温度があると思う。単に熱というわけではなく、何かの"つきつめたさ"である。ものにもよるけれど自分は"つきつめたさ"を持っている方らしく、あたりまえにやっているつもりでも相手にとっては「そこまでしないです…」となることがある。自分より"つき…

昨日の脱帽

自分というのはこういう人、相手というのはこういう人と言葉でまとめたくなるのだが、まとめることによってますますその言葉のようにまとまっていくのことはなかろうか。抽象的な言葉でまとめたとしても、具体的なことから具体的な話をした方が、澄んだやり…

自分に敬意を示してかまえる

詮索とか小言とか、急にとんできたものは振り払う。扇子をしならせて。そのときの風圧によって。相手からしたらそのつもりはなくても、こちらが気にすることがあって、気にしない方がいいと言われても気にするのである。気にしないようにしようとして気にし…

薄いけん制に慣れて

身の周りのことを「この世の中」とか「社会では」とかわかったようにまとめてしまわずに、何が起きているのかを見る方が先だ。棚と向かい合い、本を取ってページをめくり、表紙を戻してまたしまうこと方が、読む時間よりも長いのではないだろうか。その一連…

どんとこい、夏

予定を心待ちにしながらも少し憂鬱という葛藤が生じるなら、もう予定は最小の夏でいい。先に予定を入れなくても、当日や前日に行けるところやできることをやる。予定を立てる必要があるものは、もうあっさりと外す。公開討論会なるものを通しで見ると、文字…

たいしたことかもしれない

自分は"たいしたことはしていない"と思っていても、案外たいしたことをしているのかもしれない。この高温の中で過ごしていること一つとっても。気づくとほろろになっている身が持ち直すことも。小学生のころ、通学路に大きなシベリアンハスキーのいる家があ…

"知る"は先へと続いていく

人と日ごろ会話をしていて、こんなつもりではなかった様子になることがある。肯定だろうところを否定してしまったり、笑いを取りに行ったら同情されたり。そういうことならはじめから肯定や笑いを頼んでおけばいいのだが、会話においても相手にこうあってほ…