語る、また語る

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2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

葛藤は付きもの

個人がまとまり一つの集合をつくるが、その個人は決して均一ではない。そして何もかもが十分に満たされた集団などはない。それでもどうにかこうにか形にしていくのであって、そしておそらくこの葛藤は、完全でないものを受け入れがたく思う自分が生み出して…

悲観を楽観で包む

何かちょっとなあという相手の行動に、どういうつもりなのかありえないと一刀両断にしていたところを、相手にとっては理にかなった行動なのだろうと思い直すと、自分も少しは融通が利くようになったものだとひとしおである。すぐに苛立ちがまったく静まるこ…

充実を運ぶ

予定のない日は朝から眠くなる。やれることはいろいろあるが、ある時間までにどこに行くという予定がないだけで、身体の突っかかりがなく"でろん"としている。この眠気は歓喜によるもの、としてもおかしくはない。金木犀の香りのあった日となくなった日の切…

がんばらないためにがんばる

そんなにがんばらなくていいという声がありつつ、がんばらないためにどうするかとあれこれ考えている。がんばろうががんばらなかろうが、がんばってしまうのがまた私である。煩わしいことの最たるものは時間だ。それはその煩わしいことが時間を割いてでもや…

考えるという宝探し

起きている間にあったことからいろいろと考えたりして、それを人に話したりしてまた考えたりして、それをここに書いたりしてまた考えたりしている。ここに文章を書くとき、私は画面に向かって文章を書きながら一人で考えてはいるものの、実際に関係のある人…

育ての親

どうやら自分は、両親と兄弟の中でも理想を掲げる方らしい。両親は年嵩なので無難な対処をし(若いときのことはわからない)、真ん中の弟は立ち回りが器用で、私は理想と現実が折り合わずにうだうだしている。一番下の弟もどちらかというとその傾向がある。…

私の浅薄な感嘆

小説「坊ちゃん」の中で、著者は伊予松山のことを好ましくない方向で書いているが、ほんとうに厭なのであれば書かないのではないかと思うのは、私がおめでたいだけなのであろうか。国語を教えていた高校のクラス担任は、自費で「坊ちゃん」を購入して全員に…

秋の激励

内に籠りがちというか、周りに疑心暗鬼になりそうなところを、困っている、と話そうものなら、あちこちからあれこれ出てくる。フライパンで炒ったポップコーン豆が、温度が高くなって次から次へと弾けるようである。ポップコーン豆はあっても火をつけなけれ…

呼応する源

大通りから一本入ると、さすがに人はほとんど歩いていない。関係者通用口の気持ちばかりの蛍光灯と、一定間隔に立つ街灯、五メートル離れたら人の顔が見えないかもしれない。タイムカードを押してから着替える。きっと髪からは油のにおいがして、口内は閉店…

のそのそと参る

秋は駆り出されているような催しが多い。準備をして当日を迎え、楽しめはするけれど、いかんせん気がそぞろである。少しの高揚と不安と煩いが逆ピラミッドのようになってそよそよしている。子どものころはそんな催しにあんなに浮足立っていて、むしろ台風の…

「かもしれない」と抗う

厳密に言うと違うのだけれど、あえて訂正するまでもないとき、そうかもしれませんと返したくなる。「かもしれない」というと、否定でも肯定でもなく、話していたことが何となく”うやむや"にされていく。ほんとうにどちらでもいいことについて、別に自分の意…

ときには苛立ちより思いやりを差し出す

相手の棘のある語気に苛立ち、つい厭味を含ませて返す。笑っていない目に同じものを合わせる。二人とも形式的なやりとりができるくらいには大人なのであるから、上辺だけ、言葉だけなら滑らかにまとめていく。小さなことであっても、それでも気持ちはわだか…

もし群像劇だったら

「小説書いたら?」半沢直樹が流行っていたころに、職場の人に言われたことをたまに思い出す。その人いわく、題材はどこにでも転がっているのだから、ここにいたらいくらでも書けるでしょう、とのことだった。わずかな皮肉を感じつつも、そんなものなのだろ…