語る、また語る

いつもにプラスα

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ときには苛立ちより思いやりを差し出す

相手の棘のある語気に苛立ち、つい厭味を含ませて返す。笑っていない目に同じものを合わせる。二人とも形式的なやりとりができるくらいには大人なのであるから、上辺だけ、言葉だけなら滑らかにまとめていく。小さなことであっても、それでも気持ちはわだかまる。

そんなときの私の駆け込み寺では、これでもかというくらい相手に同情する。そうならなきゃいけない事情があるのよ。もしかしたらこうこうこういう境遇で、こういうことに困っていてなどと、これはおとぎ話なのかというくらいの劇的なストーリーがつくられる。あくまでも想像の域とはいえ、そういうことならわからなくもない、くらいに煮えたものは冷めていく。

ついつい相手のいる土俵に奮って乗ってしまう。苛立ちは大切な感覚ではあるけれど、いつまでも使い続けていると神経が削られる。もちろん忘れずに使わなくてはいけない苛立ちの感覚や、あきらめてはいけない苛立ちもあるけれど、今回はそれほどのことではなかった。

思いやりとは相手へ快さを与えるためにあるだけではなく、相手を許す(許すというとこちらも相手から許されるに値する態度だっただろうが)というか、容れるというか、認めるというような慮りにも使うことができるという趣旨を話しながら電話を切った。相手の土俵に乗ろうとしたとき後者の思いやりを差し出すことができれば少し、自分のふるまいも変わったかもしれない、と思った。