語る、また語る

いつもにプラスα

 本サイトのリンクから商品を購入すると、本サイトに収益の一部が還元されます。

流しておいたらいいのに

私の思考からは、受け流すという言葉がすぐに出てこないらしい。あるいは、スルーであったり、いなす、あしらう、馬耳東風。研ぎ澄ますと流すの使い分けなんていうフレームワークがそもそもない。そしてたいてい研ぎ澄ましすぎてつかれている。

受け流している人に聞くと、そもそも考えることがめんどくさいから受け流しているとか。しかし、あれは聞かなきゃいけないところだったとハッとすることもあるようだ。

考えることがめんどくさいというのなら、自分の興味のないことについて、「ふむ」と思いながらそこで終わるあれである。相手の言葉がわからないと完全に音声のみ入ってくることもあるし、別のことを考えていて相手の話を聞いていないこともある。受け流すとはそういうことなのであろうか。だとしたら、少しは受け流すことができていることになるのだろうか。そもそも、「受け流すとはどういうことなのだろうか」といちいち考えているから受け流せないのかもしれないが。

よくロールプレイングゲームで「敵が飛び出してきた。戦いますか?逃げますか?」というのがあるが、ここでは「真に受けますか?それとも受け流しますか?」ということになる。いつもは無意識に真に受けるを選んでいるはずであって、この問いを挟むとはたしてどうなるであろうか。