語る、また語る

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11歳の破局から

一方的なところ、立ち入りすぎるところ、束縛するところに困っています。だからあなたに何を言われても返さない、あるいは一言ですませるのです。あなたは悲しそうにしていました。でも、私は一人になりたかったのです。友だちはあなただけなんてそんなのおかしいです。いろいろな友だちと遊びたいし、放課後は静かに家で過ごしたいときもあります。いつも断れないから、そんな自分にもつかれたのです。そもそもどういう友だちになりたいかがあなたと私では違うようです。もうあなたと友だちでいることはむずかしいです。

何かあったのでしょうか。話しかけても何も返ってこないし、すぐに立ち去ってしまいます。私が好きな動物のぬいぐるみで遊んだり、学校帰りや休みの日にあなたの家に行ったり、寝る前に電話をしたり、楽しかったころのあなたはどこへ行ったのですか。私に直してほしいところがあるか聞いても黙ったままで、もうあなたと友だちでいない方がいいのでしょうか。別の友だちには笑っているのに、私にはそっけないのはどうしてですか。私たちはこれからもこのままなのですか。

喧嘩別れのようになり、それっきりになってしまった人がいた。久しぶりにたまたま近くに来ていると別の友だちから聞いても、私は意地を張って会いに行こうとしなかった。別の友だちが、私とその人がはっきりしない別れ方をしたことを知っており、本人には断らずにこっそり私に教えてくれたのだったが。

「別れた」「破局」という言葉は、友達との仲が壊れたときには自然には浮かんでこない。―クレア・コーエン著、安齋奈津子訳「女友達ってむずかしい?」P.30

 友達に捨てられた心の痛みを過去にぶち込んで、爆破する。(中略)
 人生で築いてきた親密な人間関係は、どんなものだって、終わったときに「終わった」とはっきり認識されるべきだし、哀悼されるべき価値がある。―同P.274


これらにならって、そのときのその人と私の気持ちを文章にしてみると、私たちの仲は、まったく、これでもかというくらい終わっていることがわかった。むしろ書くことではっきりとである。ほんとうに、ほんとうにここに書いたとおりに終わったのだ。

私はその人にすべてを乞いすぎていた。そしてお互いに話し合うことができずに別れた。そしてここに書いたことや、他の細々としたことを鑑み、思春期の半ばに友だちとのつきあい方を変えた。

そもそも私たちは、特別な何かを欲するし、誰かにとっての特別になりたがる。もちろんそれはそれでよいのだけれど、友だちづきあいにおいては、なにも特別は一人でなくていいということに気づいたのだ。言葉ではなく感覚で。友人とのつきあいとは、それぞれを「特別にできる」というわけなのだ。

その人との別れによって、友人とは近からず遠からず、特定の友人たちとばかり群れすぎないようにふらふらとしていた。誰とも関わらないわけではなく、何人もの友人をつくり、そのつながりを同じくらい太くしようとしていた。もう誰かを失うことが怖かっただけかもしれなかった。おそらく個人的な友人関係では、大人になるにつれこのようなスタイルになる人はまあまあいるのではないだろうか。

そうなると、この破局はむしろありがたいことなのかもしれなかった。もしその人に会うことがあれば、たとえ何も起こらなかったとしても、私は今度こそ声をかけるはずである。