語る、また語る

いつもにプラスα

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ひときわ異彩である

「じゃあスプーン。"将来なりたいもの"なんだから、"もの"だからスプーンでもいいよね」

からかいか、あしらいか、ごまかしか、それともあそびなのか。何も言えずにすぐに昼休みが終わるチャイムが鳴った。聡明な顔立ち、艶のある三つ編み、動じない態度と、ピアノを弾いてきたことで培われたであろう貫禄がただよう若干八歳。"将来なりたいもの"とは聞かずに「将来なりたい職業」と聞いたらそこに解釈の余地はなかっただろう。

まさにあのとき、自分の言葉の意図が相手に伝わらないなら、言葉を変えることの片鱗を知ったのだ。あるいは具体的に伝えるということであったかもしれない。

そのまま中学生になり、ある演奏会で他校の演奏に及ばない自分たちの演奏が惨めだと嘆くと、それでも自分たちの演奏をするしかないと嗜められた。友だちではない、仲が良いわけでもない、同じ部活にいるその人に私がそんなことを言えたのは、その人なら自分にはない言葉をかけてくれると信じていたからだ。

親しい人たちだけに囲まれていれば、自分を形どれるわけではない。むかしのその人の面影は、今でもひときわ異彩である。