語る、また語る

いつもにプラスα

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ディスクジョッキー

中学生だったある夜、
ラジオに結構真面目な投稿を送った。

私は言わずもがなステレオタイプから
ものを見ていて、そこにDJは
切り込んできた。

これこれ(ある属性)だからこうだと
いうのは、自分は違うと考えていると。

投稿が読まれた後のことを
想定していなかった。
いつものように読まれないとばかり。

自分とは別の視点の人がいる、
の上澄みくらいはわかったつもりだったが、
気分は良くはなかった。

それからも番組は相変わらず聞いていたが、
その人を「自分と対の人」だと位置付けた。
かといって、共感されたかった
わけでもなかった。

いわゆる中学生としての
立場しか想像できず、
自分が唯一だっただろうし、
行動を起こした先に何があるか、
言葉で理解していなかった。

それはそれで、
眩しい若さだったのだけれど。


自分は、自分が同意するかに関わらず、
その人の考えをはっきり述べるDJの話を、
好んで良く聞いていた。

たわいのないことから、
意見が分かれるものまでいろいろと。

中学生のころは、自分の考えなんてないと
思っていたから、考えを言えるというだけで
敬いたくなってしまうのだった。
自分も考えもなにも、
私は何もかもを知らなさすぎた。


その番組は、
深夜帯に差し掛かるころに始まり、
午前0時をまたいで1時頃まで続いた。

同じ番組で、今も別の局でパーソナリティを
されている石川實さんの曜日もよく聞いた。

何やら英語を話す日本以外の場所に住む人と
電話をつないで、英語で会話しながら、
自分と相手の言葉を通訳している姿に、
こんな人がいるのだと、
感心するばかりだった。


私が主に聞いていたのは、
地方のFM局だ。
電波がそこしか入らなかったから。

このFM局は東京にもスタジオがあった。
地方と首都圏、そのどちらでもないものが
生み出されているようで、おもしろかった。


娯楽要素が強い方でいうと、
オクイシュージさんが
自分の中で飛びぬけていた。

話もおもしろいのだが、
ご本人が、何であっても笑いを見つけ
出せてしまうところとか、
リスナーに近づいていって同じ目線で
楽しんでしまうとこととか、
プロフェッショナルだった。

「くくくくく」と笑って、
ポンポン前のテーブルを叩くのがお決まりで、
オーバーとは思わせない自然さが、
おもしろさに拍車をかけていた。

何より、ためらわずに自分をさらけだす姿だ。

深夜だったが恋愛か何かの話で、
当時本当に女性と話せないみたいなことを
おっしゃっていた。
恋愛関係になったのは、
無くはないが限りなく少ないとかで、
普段は下に一直線な番組内容とも相まって、
その落差にやられた。


他にも、何人ものDJの声に乗った
その人たちの思いが、
私の生活を彩ってくれた。

その時代、そのとき、その自分にしか
感じえなかったあの空気感は、
遠いようでいて、
こうして書いて近づけてみると、
時を経ても傍にあることがわかる。

でも、番組は録音していない。
あの個々のDJたちと過ごした時間に、
無性に触れたくてたまらない。