語る、また語る

いつもにプラスα

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「ふるい」としてのテレビ

テレビが家に来たのは、たしか中学生になったころだった。

今はテレビのない家があっても特段珍しいとも思わないが、時は平成の始めである。テレビがないことが「差異」と見られることもあった。狭いところにいた、と思う。

小学校に行くと、昨日のテレビの話になったし、好きな芸能人について盛り上がることもあった。仲のよかった友だちといて楽しいこともあったけれど、このときばかりは話についていけなかった。テレビがないから番組も見れないし、番組を見れないから芸能人のことも知らない。

テレビがないから変わっている家、変わっている家に住んでいるから変わっている人、と思われるのはのっぴきならないくらい恥ずかしいことだった。だから、思春期に近くなるとテレビがある振りをしてごまかした。変わっている人は排除されるという恐怖を、傍観者だった自分もわかっていた。

そのままごまかしていればいいものの、そんなにおもしろい番組、熱狂する人たちのことを自分も見たくなってしまった。でも親の方針でテレビは買ってもらえない。

高学年になって友だちが雑誌の切り抜きを大切にしているのを見て、同じ雑誌をお小遣いで購入。情報を収集した。テレビはないが、いくつかのテレビ局の電波を拾うラジオは家にあった。窓際に持っていって必死にアンテナとつまみを調整して、テレビ番組をラジオからの音声のみで聞いた。電波というのは日々変わるようで、先週はここできれいに聞こえたのに、今週はまったく聞こえないこともあった。いつもそんな感じだった。上手くいかなかった日は、めちゃめちゃ雑音が入った。ラジオをいじっていたのでラジオも聞くようになった。最新の音楽と知らない誰かのエピソードが届くラジオは、自分にとってこれまでの何よりも刺激的なものになった。

しばらくすると、テレビと芸能人、そして音楽とアーティストにとても詳しくなってしまって、逆に自分から話を展開させるようにもなっていた。まあ、小学生のころなのでたかが知れていただろうが。

ついでに書いておくと、まったくテレビを見ていなかったわけではなく、幼いころは隣に住んでいた祖父の家に行って教育テレビを夕方少し、引っ越してからは「名探偵コナン」を車で30分の祖母の家で録画してもらっておいて、月に何回か見に行った。また、テレビがないのでテレビゲームはできなかったが、携帯型ゲームは許されていたので弟のスーパーマリオでたまに遊んだ。

やがてクラス替えなどでつきあう友だちが変わると、話すことはファッションや占いなどに移ったこともあって、テレビを見る(聞く)ことは減った。

子どもたちが家を出てから、両親は再びテレビのない家に住んでいて、私はテレビのある家に住んでいる。

何かがないこと、何かがあることでふるいをかけてしまったとき、あのテレビのない家を思い出したりして胸がくにゃっとする。