「こうしたい」ではなく「こうしなくては」に沿って思考してきた。「こうしなくては」には、自分ではない誰かの意思も含まれていた。誰かの意思に従っていれば批判されることはないともくろんでいた。
しかし画一的な集団から出ると、単純に言うと私の白はあなたの黒、のようなこともある。すべての人を満足させるのは無理に等しい。自分の意見や行動が批判されることもある。
先日書籍を整理していて目に留まった文章があった。
批判は、あくまで批判する人の世界観に基づくものであり、そのもととなる人生経験、価値観、パーソナリティは人によって異なる
ジュリー・スミス著、野中香方子訳「一番大切なのに誰も教えてくれないメンタルマネジメント大全」より
つまり、批判をすぐに真に受ける必要はないということだ。
かといって無下にするわけではなく、一つの見方として受け止めていく。
離れたところから攻撃的な批判に遭遇することもあるが、その人が私のことについて責任を負っているわけでもないのだ。そういうときは据え置いておきたい。また、自分にとって"あくまで今"は特別でない間柄なので、攻撃的な批判が向けられたところで聞き流しておくこともできるだろう。
ちなみに、批判を糧にするかは自分の価値観や信条に基づいて自分が決めればよいのであって、判断のために「自分が何を大切にするか」を理解しておくといい、とも書かれていた。
個人的なことで批判を受けたときに、いつまでもうろたえたり悩んだりすることは、「自分が大切にしたいこと」が定まっていない分野であったりする。
ブログを読んでいても思うけれど、批判を活かそうとしている人は、「自分が大切にしたいこと」が確立されているからかゆとりを持っているように感じられる。
批判の性質を捉え、自分の大切にしたいことを明らかにしていくと、批判は恐怖だけではなくなってくる。