語る、また語る

いつもにプラスα

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ラジオで更けていく

夜に目がさめてどうにも眠れず、ラジオをつけてみた。タイムフリーで馴染みの番組を聞いてもよかったが、ライブの電波に軍配があがった。生放送というものは、その音声の向こうに"今"人の居る温度を感じるから、気持ちが芳しくないときには助かる。

眠れるまでのつなぎのつもりが、おもしろくて2時間弱みっちり起きてしまった。3時間目に突入してもよかったけれど、さすがにやめた。週末とはいえ次の日もある。好んで聞く番組ではなくて内容についても諦めていたからか、かえって火がついた。


いつでもどこでも直近の番組を聞くことができるようになって、聞きたい番組を聞きただけ聞いていたら一日終わるのだろうなと思う。自分は真面目に聞こうとすると「ながら聞き」ができない。真面目に聞こうと思ったら、ただ座ったり横になったりして「聞くだけ」になる。だから時間を持て余していた若いときには、よくラジオ聞きながら一日寝転んでいたものである。今はつい「ながら聞き」をしてしまい何回か聞き直して、1時間の番組を聞くのに倍以上の時間がかかっていたりする。


別でたまたま聞いた番組のゲストが、同じパーソナリティの人の番組を毎日聞いていたら、その人の調子がどうかがわかる気がすると言っていた。パーソナリティも一人の人なので、気分が良い日もいまいちな日もあるだろうけど、それが声を聞いただけでわかるとは、予想とはいえ何と精密なセンサーを持たれている方なのか。もう五十代の方だったが、職業柄たくさんの人を見てこられただろうし、そういうところも寄与しているのかもしれない。

パーソナリティの調子はわからないけれど、リスナーから便りの紹介であったり、ゲストとのやりとりにおいて、声色に喜怒哀楽が表れる気がすることはある。自分としては怒や哀のときにそのパーソナリティの方がどんな声の感じで話されるのかというのは、いつも注意して聞いてしまう。相手の言動に反応するパーソナリティの機微に、どんな感情で話されているのだろうとかいちいち思っている。自分が関心のない内容でも、パーソナリティの技術的な視点で見るとけっこう楽しかったりする。

娯楽的なものから真面目なものまで、ラジオをなんとなく満喫できているのは、擦った揉んだありながらも、いろいろある一日を送っているからに違いない。