語る、また語る

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楽に相手の話を聞くには〜否定も肯定も共感もしない〜

子どもの同級生の親同士で
やりとりをする機会があったのだが、
子どもの得意なことの話題になると、
こちらも何か子どものいいところを
アピールしたくなってきて、実際にした。

そうなんですね、
と返すこともできたのだが。


傾聴とは、相手の話を
そのまま聞くことであるという。
否定はもちろんだが、
肯定も共感もいらない。

何とか共感しようとしたり、
失礼のない、もしくは
気の利いたことを返そうとしたり、
自分の意見や感情を伴ってしまうと、
相手の話を正面から聞けていることに
ならないそうだ。

今回、"きく"をあえて「聞く」と書いたが、
「聞く」とは、耳に入って来るものを
受け取るという意味である。

たいして「聴く」は、
注意して聴くことであるから、
「聞く」より重みがある。

ただ、「聴く」にしても、
まずは相手の話を言葉のまま「聞く」ことが
できなければ、相手が本当に言いたいことを
「聴く」ことはできないと思う。

自分のなかでは、
相手の話を「聞く」ことで、
相手の心も「聴く」というイメージだ。
だから「聴く」の出発点である、
「聞く」を使った。


さて、相手の話をそのまま
受け止めることは、案外楽なことだった。

評価するために思考しなくてもいいし、
わざわざ感情を働かせなくてもよい。

たとえば相手が悲しいとつぶやけば、
「悲しかったんですね」とくり返す。
楽しかったと弾んでいたら、
「楽しかったんですね」、
疲れたと嘆いてぼやいていたら、
「疲れたんですね」でいい。

あまりに同じ言葉ばかりくり返していたら、
真面目に聞いてる?となりそうなので、
相槌のバリエーションは工夫したい*1

あと、そもそも聞くときの態度が
無下だと、相手にも伝わるものなので、
聞こうとする誠意はいる。
(誠意さえあれば万事解決できるもの
ではないけれど)


子どもが浮かぬ顔をして、
「疲れた」と話しかけてこようものなら、
つい先走って、「何があった?」とか、
「大丈夫か?」などと問いたくなるが、
「疲れたね」と返すだけで、
こちらが何かアクションをしなくても、
言いたいことを吐き出して
くれることがある。

愚痴なども同じである。

相手がすべて話しきったら、
こちらが質問したり、
感想を言うのもよいが、
話している相手が主体くらいで
構えていた方が、聞くストレスも
軽減されそうだ。
特にネガティブなテーマのときは。

傾聴は、話す側にも聞く(聴く)側にも、
有効なものだと感じている。

*1:「そうなんですね」、「あぁー」、「うんうん」など。