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レミオロメン「春景色」~思いが彷徨う~

週末に天気が崩れ、そのまま月曜になった。雨の後に、強めの風が木々を揺らしている。太陽が恋しいような、しかし晴れて暑いと疎ましいような、しまえずにいる長袖のスウェットをかぶる。


こういう天気というか気温のときは、遠くに住んでいる人たちは今ごろ何をしているだろうかと頭が勝手に動くことがある。

レミオロメンの「春景色」という曲で「会いたい人にいつだって会いに行く」という部分があるのだが、会いたい人にいつでも会えるのは恵まれたことなのだなあと、いったいどのくらいの反芻かわからない。地理も予定も何もかもが小さいところにいたときは、そんなことあたりまえだったけれど、自分の会いたい気持ちだけで友だちの家に伺うような軽快さは、ないといえばないような。

「春景色」は春の嵐のようと配信サイトのコメントにあって、そこまで荒れていたわけではないものの似たような気象のときに「春景色」を聞いていることが、音楽の蓄えの手腕でもある。ふっと蘇ってくる言葉とか歌とか旋律とか、自分の脳なのにまったく予測できない。だからおもしろい。

ところで、この「春景色」はレミオロメンでいうと初期の作品になる。管楽器が入って豪華になるのもよいけれど、自分が聞き返すのはアルバムでいうと「朝顔」とか辛うじて「エーテル」のころに偏っている。「春景色」もギターとベースとドラムのみで、どこまでできるかみたいなところで磨かれている。

「春景色」は、繰り返し歌われているように、彷徨う想いがテーマだと思っている。

昔話のような夢を追いかけて 迷いの中を彷徨うよ

大人になってから昔話はできすぎた物語だと感じるようになって、でもできすぎているとわかっていても追いかけたくなるのは、わかる気がする。

 

それは晴れた晴れた月明かりの日
いつか生きた日々に帰れない
雲のようさ ちぎられた想いなら
春風に揺れている

それは晴れた晴れた月明かりの日
いつか生きた日々に戻れない

それぞれのサビで、いつか生きた日々に続く「帰れない」と「戻れない」の違いがある。「帰れないは、いつかの日々と同じことをしていても、あのときのような(澄んだ)気持ちに帰れないということ、「戻れない」は時は進むばかりなので過去には戻れないということを示すのではないかと。

いろいろな想いがあったことは確かだが、もうところどころで覚えているだけで、それはちぎられた雲のよう。あのころの想いをそのまま体現することはできない。

偶然な事が好き 運命は信じない
気まぐれが指す 方角はどっちだ?
桜の匂いが好き 太陽が近づいて
会いたい人にいつだって会いに行く

夜風のリズム 震える背中で歩いた
帰り道には弱気になる

おそらく気まぐれに会いたい人に会いに行ったけれど、帰り道には「これでよかったのか」と弱気になっているのだろう、いろいろなことにやってから弱気になるのは、自分はよくあるので頷ける。

それは晴れた晴れた月明かりの日
忘れようとした想いがある
終わらないで本当の気持ちなら
春のように輝いて
終わらないで本当の気持ちなら
春のように輝いて

忘れようとした想いも本当の気持ちなら忘れなくてもいい、春のように輝いたまま抱いていてもいいと、肯定するラストも感慨深いものだ。


レミオロメンは県という大きな括りだと同郷で、活動を休止してからも、メンバーが地元とのつながりの中で仕事をしている様子を見ると、少しもどかしくなったりもする。自分にとっては、あの美しい山に囲まれた場所を閉ざされたところだと感じてしまい、とても近づくことを想像できない。十代のころの複雑な感情にとらわれているということもあるが、海を見て胸がすくことはあっても、帰省したときの周りの山を見ても胸の騒めきが目立つのである。何か置いてきてしまったもののような意識もあるのかもしれない。

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