語る、また語る

いつもにプラスα

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趨勢の中にある

小学校五年生くらいのとき、ブラジルからの転校生が三人来た。

私の地元は人口三万人くらいの市であったが、それなりに工業団地のようなものがあり、近くには海を越えてやってきた人たちによって建てられた、赤や青や緑の住宅がわずかに並んでいた。

少ししてから、そのうちの一人の家に行くことがあった。どうしてそんなことができたのかは忘れた。ただ、彼女は週に何回か校内で日本語の授業を受けていたから、そのころには少し話せたのかもしれない。子ども同士であったし、遊んだりしているうちに、言葉が通じなくても打ち解けていったようにも思う。彼女は、おとなしいけれど芯の強い姉のような感じがして、一緒にいて居心地がよかった。実際に年上だったが。

ちなみにあとの二人は、踊ることが好きで陽気であったり、バスケットボールが上手でやさしかったりした。

転校生たちは授業中にガムを噛んでいたり、耳にピアスもあいていたけれど、ブラジルではこうだからと担任からわざわざ説明があった。

彼女は、学校から歩いて5分くらいの一戸建てのコンパクトな賃貸に住んでいた。同じつくりの家がいくつかあり、転校生のうちの一人も近所だったようだ。玄関に続くコンクリートの小道がゆるやかな坂になっていて、私たちはそこでスケートボードを滑らせていた。坂を挟んだ両側は庭になっていた。

あるとき、ブラジルではポルトガル語を使い、ありがとうは「オブリガード」であると彼女から聞くことがあった。

新しいことを知ったくらいな気でいたけれど、後からポルトガル語のわけがわかった。過去は続いていて、子どもながらに自分たちもその中にあるのだと足がすくみそうになった。住んでいた場所を離れて、言葉も文化も習慣も違うところに来た彼女とその家族のことは、あのころはもちろん今であっても想像を絶する部分がある。

あれから何年も過ぎて、彼女たちはもう日本にはいないらしい。もう彼女に会うこともないかもしれないし、これらのことは、それ以上でもそれ以下でもない。ただ今もし彼女に会えたなら、私は「ありがとう」を言う気がする。