語る、また語る

いつもにプラスα

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素直さは、ときに甚く悲しい

何かと予定が続く5月。朝になったら6月になっていてくれないものか。ならないことは知っている。

実家から沢山あるからと、幼いころの写真が届いた。父も母も弟たちも若い。当時の写真に写った子どもたちを見て、何かこの人は好きだった、この人はちょっとみたいな感情がよみがえった。

年中のころ、たしか私は後ろから三番目だった。遠足とか散歩とか、背の順の二人で手をつなぐことがあったのだが、あとの二人のうち前の子どもが、私と手をつなぐこともを頑なに拒んでいた。常にだったのか、手をつなぐことがどのくらいあったかも定かではないが、手をつなぐときには前の私ではなく、一番背の高い後ろの子どもと手をつないでいた。そんなことがあってかなくてか、一番背の高い子は私にやさしかった。どんな風にというと少し困るけれど、一緒に話したりした。自分から人に話しかける子どもでもなく、何なら一言も発さずに幼稚園から帰ってくるような子ども(これは誇張かもしれない)だったから。だから私は一番背の高い子が好きだった。

手をつながなかった子どもは、自分の快適さを取ったのだろう。手をつなぎたくないと言われた人は傷つくけれど、その子どもは自分の快適さのために、私の少しの好意を失った。手をつながないだけで他に何があったわけではない。我慢して私と手をつなぐ以外にどんなやりようがある。先生とつなぐとか、私は一人でいいとか、5歳の子どもにそんなことはできないだろう。

またこんなこともあった。小学四年生のとき、ある行事に向けて別の学年とくじで二人一組になることがあった。何やら手を組んで祈っている子どもがいて、手を組んでいるのに加えてその手を振っているから目立った。そして、私はその子どもと組むことになった。それがわかると、私とは目を合さず宙に向かって「絶対になりたくなかったのに」と言った。


子どもだろうと大人だろうと、人には合う合わないがある。相手の合う合わないは、自分にはどうしようもない。また逆も同じである。

ただし相手との関係にもよるが、直にそれを言うのか、間接的に目的を果たすのか、使い分けはできるはずだ。

自分は合わない人がいたら、間接的によけるようにしているが、それができないときもある。素直さは、ときに甚く悲しいものである。