語る、また語る

いつもにプラスα

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そよぎながら立つ

むかし聞いていた歌を聞くと、時が経ったことを感じる。いろいろなことを端によけ、自分がその音楽の一部になったつもりになる。

何もないようでいて、めくるめく一日を使い果たし、今日に至ったことが思われる。どうにかこうにかやってきた自分に、これからもどうにかこうにかやっていけそうな気持ちがする。これは何か。これが自信というものなのか。

自分の書きたいことを文章にしながら、変哲もない年を過ごしただけで、自信を得たのだろうか。自分には何でもできる、という自信ではなくて、どうにかやっていくのだろうという自信だ。

かといって、むやみに虚しくなる。ほんとうに虚しくなる。誰かが羨ましくなる。自分にあることのすべてがこれっぽっちもあたたかさを失う。そういうときは休めていないときだ。一人になりたいときだ。

しかし、その虚しさと"たま"の自信、そしてもろもろ何もかもを引っ提げて、少なくともある"これから"をやっていく。

もはや自信があるとかないとかの範疇ではないのかもしれない。どうにかやって行くという"自分が楽になるため"のあきらめ。それは風のようにそよいでいるわずかなものかもしれないけれど、立つための骨格になる。