語る、また語る

いつもにプラスα

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後悔を指針にする

カッターシャツ、スカート、タイツにやや底の厚いブーツ。すべて黒色。マニュキュアも黒だったかもしれない。同じ小学校にはいなかったタイプの友人たち。内々でがっちりつながっている、自分が入り込めない感じ。

あるときデビューしたばかりの「Janne Da Arc」というバンドのアルバムを渡された。彼女たちのファッションはいわゆるビジュアル系といわれるもので、聴いている音楽を奏でるアーティストからの影響であった。「Janne Da Arc」はビジュアル系とはいえ、ライトであったので恐る恐るではあったがアルバムを聞くことができた。代わりといっては何だが、私は彼女たちに"ラジオ"を聞くことを勧めた。

黒い中にぽつっとたまに青いジーンズやらが混じり、ローカル局のラジオ収録を観に行った。生まれて初めてライブに行ったのも、彼女たちと一緒だった。初めてのライブハウス。スモークに動じる私に、彼女たちは涼しい顔をして「スモーク、よく効いてるね」などと話していた。

彼女たちは、いわゆる流行りを追いたい自分と一線を画していた。自分の良いと思う音楽を聞き、着たい服を着る。少なくとも自分にはそう見えた。私は彼女たちに憧れていたことに間違いなかった。

「Janne Da Arc」を部屋で流してみる。中学生ながら彼女たちはこのような音楽、言葉に触れていたのかと感心する。偏った先入観から、渡されたアルバムを数回しか聞かなかったのがもったいない。後から聞いた話であるが、彼女たちは環境や経験から人より内省的な中学時代を過ごしたようであった。"自分から"逃げてばかりだった反動か、今になっても大くの関心は自分に向く。

執着と後悔のために、過去のことを引っぱり出してきた。「Janne Da Arc」を聴き続けていれば、未来はどうなったのだろうかと、どうにもならないことを考えている。でも執着と後悔がいけないとは思わない。もはやそれは未来への指針なのだから。