語る、また語る

いつもにプラスα

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同期の彼女

今もそういう傾向はあるが、
社会人になりたての頃の自分は、
明らかに視野が狭かった。

自分の意見が必ず正しいとすら
思っていた。

そして、同期の彼女が好きではなかった。

人のことを決めつけるし、
押しが強いし、意地が悪い。

今なら相手にもいろいろ
事情があるとわかるけれど、
若かったわたしは、そのあたりの
想像力がなく、彼女のふるまいが
まったく理解できなかった。

ところで、数人の同期とともに、
わたしたちは、食堂の同じ机で
昼食をとっていた。

わたしは一人になりたかったが、
外に出るのも気が進まないし、
仕方なく輪に入っていた。

同期なのだから
仲良くしなければならないという
思い込みもあった。

わたし一人離脱して、
あの人だけ仲が悪いと思われるのも、
同期の仲を疑われるのも避けたかった。


そんなに心配しなくても、
数年したら、退職や異動、
一人になりたいと、
一人、また一人と同期が減って
いったのであるが。

そしてどういう巡り合わせか、
残ったのは彼女とわたしだった。

あいかわらず彼女のことは、
好きではなかったが、
なんとなく惰性で、そのあとも
同じ席に座り続けた。

向かい合って顔を合わせるのは、
なんとなく気まずいから、
隣に座り、同じ方向を向いていた。



彼女は営業部門、わたしは技術部門、
たまに仕事のことや、日常のことを話した。

しゃべりたくて
しゃべっているわけではなく、
沈黙をうめるために、しゃべっていた。

そこに楽しさはなかった。

あれ、何か楽しいかもと感じたのは、
数年経ってからだった。


それからまた月日は巡り、
入社してから十年が過ぎた。
わたしも変わったし、彼女も変わった。

わたしたち性格が違うよね、
だけど、そういうところが
kataruちゃんだよねというように。
これを尊重というのだろうか。

部署が違って、近すぎず遠すぎないのも
よかったのかもしれない。

十年以上のときを過ごし、
よいところも、そうでないところも、
「知った」のだと思う。

出会ったころの印象は良くなくても、
そのあと関係が変わることもあるのだ。


退職の日、彼女は
チョコロールケーキをくれた。

餞別に生ものなのねと思ったけれど、
彼女らしくて、いいなあと思った。