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「ゲシュタルトの祈り」から省みる

もう書籍を探すにも探せないのですが、「ゲシュタルトの祈り」を知ることがありました。そんな"あやふや"なきっかけとはいえ、インターネットでの言及を見かけることがあったり、昨年受講した講座の締めに「ゲシュタルトの祈り」が紹介されていたりしたこともあって、やっと、そうかけっこう知られているのかと思ったくらいです。

まえがき

「ゲシュタルトの祈り」とは、ゲシュタルト療法を提唱したフレデリック・パールズ(以下パールズと書きます。)が彼のグループワーク(セラピー)で用いた文章です。自分と相手の関係において指針になるようなことが述べられており、いつかブログに書きたいと思っていました。

自分としては原書といわずとも、実際にパールズによって展開されたグループワークの、どのようなところでどのように用いられたのかも気になりました。そのためにパールズの著書を買ってみたものの、さっと読んだだけでは、あたりまえですが、ゲシュタルト療法のほんの一部分をつまんだような感じです。自分が影響を受けた考え方や先人の言葉なども大くがそうなのですが。

「ゲシュタルトの祈り」の実際(パールズの著書より)

F.S.パールズ 著、倉戸ヨシヤ 監訳『「ゲシュタルト療法」―その理論と実際―』から、「ゲシュタルトの祈り」が使われたグループワークの様子*1を抜粋します。

 

 今回、私はゲシュタルト療法の、いわゆる究極の目標とも言えるところから始めたい。つまり、「ゲシュタルトの祈り」をやりたいと思うのである。先ず、皆さんに私が「祈り」を唱えたすぐ後から、私の真似をして複唱していただきたい。そしてその後、夫婦でご参加の方がこの祈りの文章を使って何ができるのか見てみたいと思う。さて、「ゲシュタルトの祈り」というのは、こんな風である。
私は私、
グループ:私は私、
パールズ:あなたはあなた。
グループ:あなたはあなた。
パールズ:私がこの世に生きているのは、あなたの期待に応えるためではない。
グループ:私がこの世に生きているのは、あなたの期待に応えるためではない。
パールズ:また、あなたがこの世に生きているのは、私の期待に応えるためではない。
グループ:また、あなたがこの世に生きているのは、私の期待に応えるためではない。
パールズ:私は私です。
グループ:私は私です。
パールズ:あなたはあなたです。
グループ:あなたはあなたです。
パールズ:アーメン。(笑い声)


「ゲシュタルトの祈り」(国分康孝訳)

受講した講座の資料にあった国分康孝による訳も載せます*2

われはわが事をなさん
汝は汝のことをなせ
わが生くるは汝の期待に沿わんがために非ず
汝もまたわれの期待に沿わんとて生くるに非ず
汝は汝、われはわれなり
されど、われらの心、たまたま触れ合うことあれば、
それにこしたことなし
もし心通わざればそれもせんかたなし

パールズの著書にあるグループワークでは、国分康孝訳にある「されど、われらの心、(中略)それもせんかたなし」はありませんが、広く知られている「ゲシュタルトの祈り」には、これらも含まれています。

「ゲシュタルトの祈り」から省みる

自分を抑えて相手の期待に応えていれば波風が立たないと長いこと思ってきましたが、こちら側は波風で荒れに荒れてしまいます。

反対に、相手が自分の期待に応えないときに苛立ったり、また思い通りにさせたいと思うことは、相手も自分の期待に応えるために生きているわけではないことから外れます。

自分の意思を伝えることを試しているのですが、自分を通しすぎていないか、また折り合いの加減がよくわからないでいます。

*1:グループワークは、三組の夫婦とパールズがそれぞれの椅子に座って行われたようです。書かれたものはゲシュタルト療法の実際をフィルムに撮り、逐語記録したものとなっています。

*2:出典はわかりません。