語る、また語る

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「自分自身から」逃げていいとき

「そんなに悩むのはよくない」

医者が口にした一言に、不快感を覚えた。

悩まないですむならそうしたい。
わたしは一応、病人なのだから、
否定せずに話を聞いてくれてもいいのに。

と、これはむかしの見方で、
医者はわたしを否定したわけではなく、
"そんなに悩むこと"に反対したのであった。


心が弱っている人は、
深く悩まない方がいいというのは、
どこで読んだのであったか。

悩み続けることが、
自分を追い込んでしまうことになるのなら、
それは危険なことだというのである。

そういう人は、いかに悩まないかに
軸を置いた方がいいらしい。

たとえば、お皿を洗うとか、
どこかをちょっと片づけるとかの
単純作業は、つらい気持ちから
目を逸らすのに良いそうだ。

そんなことをする気力がないときは、
やれる範囲で好きなことをするのがよい。
自分は、ひたすら楽しいだけのMVを見たり、
シリアスではないラジオを
聞いたりしていた。


薬ももちろん助けにはなるが、
あるところまで来ると、
できるできないはさておき、
自分で心の舵取りをすることが、
ものを言うことがけっこうある。
薬が効いてなかったのかもしれないが。


なるほど、あのとき医者は、
わたしがこれ以上悩むのは、
危険だと判断したのだと思う。

自分には響かないばかりか、
腹を立てていたのだから、
どうしようもない。

理由や背景の説明や、
もしくは自分から問うことをしても
よかったけれど、
そこまで柔軟なことはできず。

ただ、悩みすぎたときに、
頭のどこかに引っかかっていた
医者の忠告によって、
自分にブレーキがかかったかもしれない。


いまいちわかっていないのは、
どこまでなら危険で、
どこまでなら危険ではないのかだ。

悩みすぎて力尽きたという経験の
サンプルはいくつかあれど、
パターン化できるわけでもない。

でも、なんかそっちゾーンに
入ってきたというのは、
なんとなくわかるようになってきた。

これ以上長居したら危険かもしれない、
だからもうやめよう、
みたいな心持ちである。

悩むのではなく、
考えたらいいのだろうけれど、
それができる人は悩まないのだ。

考えることはしていくにしても、
人と人にも距離感が必要なように、
自分とも、近すぎず遠すぎずが、
ちょうどいいのかもしれない。


ひとまず、悩みがちな人は、
ときには「自分自身から」
逃げたっていいのだ。

いや、むしろ逃げよう。

そして、時間はかかるかも
しれないけど、
心のコンディションがよくなったら、
考えることを考えよう。