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自意識に囚われず、創り出したい成果にフォーカスする~『自意識と創り出す思考』より~

「自分のことをどう思うかではなく、
自分が何を創り出したいかに
フォーカスせよ」というのが、
この本の一貫した教えだ。

第1章では、
自意識にフォーカスすることの
問題として「学習」を例に出し、
学習における自意識へのフォーカスは、
制約になるという記述があった。

何かを学ぶときは、ひどく間抜けに見えたり、とんでもなく下手くそに見えたりするものだ。ぞっとするほどみっともなかったり、人をイライラさせるくらい不器用だったり、身の毛もよだつくらい無能に感じられたりもする。これは当然のことだ。学びのカーブは直線的ではない。何かに熟達するまでの過程には、辛く不快な時期があるのが普通だ。(中略)
 ここに自意識が入り込むとやっかいなことになる。何かを学んでいるのなら、その自分はひどい状態に見えて当然だ。それなのに、無能に見えることがないようにそれを避けるようになる。それは学び自体を避けてしまうことなのだ。

※下線はブログ執筆者による。


話は少し逸れるが、退職する数年前に、
自分はまさにこのような状態であった。

次のステップに進もうというときに、
自意識が強すぎて、
前に進めなかったのである。

「有能に見られたい」と
思ってしまったために、失敗を避けた。

失敗しないのだから、学びもないし、
何も身に付かないし、何もできない。
そして、仕事は止まる。

失敗しないことにしか意識がないから、
気づきが転がっていても、
それに気づかないし、見ることもしない。

仕事で何を創り出すかより、
自分がどう思うか、
他人にどう思われるかばかりを
気にしていた。

ほかにも諸々の事情はあったが、
自意識に囚われて仕事をしていた
過去の苦い出来事である。


ところで、
自意識にフォーカスしないのであれば、
仕事が好きか嫌いかは、
仕事で創り出したい成果とは関係がないと
いうことになる。

そうだとすると、
別に無理して仕事を好きにならなくても
いいのだろう。

わたしは仕事が好きとは言えなかったし、
若かりしころは、仕事を好きにならなければ
ならないと思ったこともあったが、
好きだろうが、嫌いだろうが、
どちらでもなかろうが、
いい仕事なるものはできるのかもしれない。

そりゃあ嫌いな仕事をやり続けるのは、
ちょっと厳しいかもしれないけど、
嫌いだから工夫してみたり、
その仕事自体を無くす方向に持って行ったりも
できるわけである。

「好きこそものの上手なれ」というように、
"トータル"で好きな仕事ができるなら、
その方がいいのでしょうが。


こんな感じで、数回にわたって、
「自意識と創り出す思考」からの
学びなどを書いていこうと思います。

参考文献  ロバート・フリッツ、ウェイン・S・アンダーセン著『自意識と創り出す思考』、Evolving、2018年