『自意識と創り出す思考』の
第3章は、あなたは誰?である。
5ページと短いながらも、
興味深いことが書かれていた。
この本の立場としては、
「自分が何者かを知ることはできない」
というものだ。
人は「持っているもの」や
「持っていないもの」で
自分を定義しがちだ。
たとえば、自分の業績、挫折、教育、
なんと宗教観にいたるまで。
スキルや知識も「持つもの」であって、
その人自身ではないという論理である。
自分が何者かを言葉にすることは誰にもできない。この問いに正解は存在しないのだ。にもかかわらず、実に多くの人が自分自身を定義したがる。(中略)医者やパイロットなどの職業も便利な定義だが、それとて「何をする人か」を教えてくれるだけで、本質を定義することにはならない。
注意したいのが、
自分の好き嫌いや価値観を
見つめ、知ることを否定している
わけではないということだ。
それらは、「創り出したい成果」を
導くための知識となるからだ。
知識はわたしたち自身ではないと
いうだけで。
自分は何者かを問うことは、
自意識にフォーカスすることになる。
そうではなくて、
創り出したいものは何かに
焦点を当てるのだ。
先日、市の社会福祉協議会が主催する
ワークショップに参加する機会があり、
そこで、相手の良いところを
フィードバックするという場があった。
わたしは、「落ち着いている」、
「ハキハキしている」、「聞き上手」などと
言われ舞い上がっていたが、
それは、わたしが何ができるかとは
関係がない。
相手がそう感じただけのことである。
また、よくやりがちなのが、
相手がネガティブなフィードバックや
してきたときに、それをそのまま
真に受けることだ。
思い出されるのは、
「真面目すぎる」、「子どもに甘い」、
「自分のことしか考えてない」など。
たしかに言われたときは苛立ったりも
するかもしれないが、
「真面目すぎるのはよくない」、
「自分のことしか考えてないなんて、
どうしようもない」などと自分を責めなくても
いいのである。
もちろん謝ったり、行動を変えることも
できるから、受け止めはするけれど、
あくまでも相手の視点であって、
それが正解か不正解は決められないのだ。
過剰に相手にメンタルを
左右されるところがあるので、
自分が何者かは誰にもわからないという
スタンスは、メンタルを安定させる
助けにもなりそうである。
答えを教えてくれようとする親切な人がいたら、だまされないように注意しよう。たとえ善意だったとしても、その人だって答えを知らないのだから。
誤謬に満ちた概念をありがたく受け取ってはならない。耳に心地よい嘘が皆そうであるように、一時しのぎの安らぎはやがて消え去っていく。
参考文献 ロバート・フリッツ、ウェイン・S・アンダーセン著『自意識と創り出す思考』、Evolving、2018年