語る、また語る

いつもにプラスα

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「感じるしかない不安」がある

くじ引きの結果がどうなるかわからなくて不安だ、行きたいイベントの内容がわからなくて不安だ、子の担任の先生が誰になるかわからなくて不安だ。ここ最近の平和な不安である。平和ではあるが不安は不安で、何かの拍子に不安がふっと浮かんできては受け流すようなことを繰り返していた。いつものことだ。

くじ引きの結果は引いてみないとわからないし、イベントの内容も聞いたらいいけれど聞かないと決めたからわからないのであるし、子の担任も始業式の日になってみないとわからない。

何が起こるかわからない、未知のことに人は不安を感じるものである。

たとえばイベントの内容がわからないという不安に対して、内容を聞くことができれば未知が既知になり不安が減る。もちろん内容を聞いたところで当日のことは予測できないのだから、未知なことはあるものの、内容が何もわからないときに比べて不安が減る。つまり、未知を既知にしても残る未知への不安は「感じるしかない不安」のようなのだ。

未知なことに不安になっても、これは「感じるしかない不安」なのだと考えると、眠気のように生理的なものとして肯定することができる。眠れば解消される眠気と、未知が既知になるまで解消されない不安とでは性質は異なるだろうが、不安を特別な感情として遠ざけるのではなく、眠気のように必要なときに感じるあたりまえの感情と思う。感情があるということは、何とも忙しくておもしろいことである。

読んだ本:水島広子著『大人のための「困った感情のトリセツ(取扱説明書)』、大和出版、2014