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外をまなざす

あるニュースサイトに行くとついゴシップばかりかっさらっているため、いっそアクセス制限をかけることにした。もはや朝刊とラジオとたまにテレビ、のような古典的なスタイルになりつつある。

数年、自分が遭遇したことや知りたいことだけを見たり聞いたり読んだりしており、とはいえ断片が入ってくる外の出来事もあって、しかし、どちらからもにも対立と分断の相を感じる。個人的なものについては、対立というより相対かもしれない。緊迫はしていないけれど、ただ自分と交わったり交わらなかったりする誰かがいる。ひとかたまりにした何人かと自分だったとしても、切り分けていくと個人と個人になっていく。

だから、外をまなざすことは、自分をまなざすことになるのだと思われる。自分の中で何か進めたいことがあったとき、遠い国のニュースから気づくことがある。ただ自分の内に内に入っていてもできなかったことだ。ほったらかしにすると「自分に都合のいいもの」ばかりに向かっていくものだから、一つでも二つでも予期せぬものに掠められようとしている。

ちなににタイトルにあるの"まなざす"は、アミン・マアルーフ著、 小野 正嗣訳のエッセイ「アイデンティティが人を殺す」に書かれていた訳文から借りた。見るより対象がはっきりしないところが、この文章に合うのではと。