語る、また語る

いつもにプラスα

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可もなく不可もなく

あれよあれよと6月になった。午前6時、起きがけにカーテンを半分開けて台所に行こうとしたら、「ありふれた人生を探していた」とスピッツのボーカルが聞こえてきた。CDを持っていないのでタブレットをたたく。スピッツにしては珍しくストリングスが入っているようだ。

わかるようになった部分。

空回るがんばりで許されてた 現実は怖いな
逃げ込めるいつもの小さな部屋 点滅する色たち

わかっているけど変われない


仕上がりのレベルを高くしているあまり、面倒になる個人的なことがまあまあある。やっと目処がついたと人に話したら、そこまでやったのねと言われた。彼女はそこまではしないらしい。

たとえばヨーグルトの紙容器を洗って捨てるかどうかであっても、そんなことはしない人もいるのであって、個人的なことをどこまでやるかは人によって違ったりする。そのどこまでの範囲を狭めたり、質を緩めたりして小分けにすれば取りかかるハードルも下がる。だから面倒なときに、そこまでやるのかということを気にしてもいいだろう。


文章を書くことも、何を書くかを決めることもほっぽっておこうとしたけれど、可もなく不可もないときに文章を書く時間すら取れなくなるのは、恐ろしいことではないか。自分は猪突猛進して消耗するところもあるので、文章を書く時間すら削って、これを書きたいと感じる気持ちを追い出すほど、一日のことをできれば大きくしたくはない。