語る、また語る

いつもにプラスα

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気分屋な感情とともに

「ネガティブな感情は、
ある脅威から自分を守るために
発動されている」と説いたところで、
すぐにそれらが一掃されるわけではない。

自分はネガティブな感情を
持て余してしまいがちなので、
そのうち忘れるとわかってはいても、
渦中にいるときはダメージを受けてしまう。

ありったけの言葉でネガティブな感情とともに
お互いが居心地の良い立ち位置を探ったり、
心の内を吐露したりしなかったりしながら
人やものからの偶発的な働きかけに晒したり、
どちらもやりながら、どうにかこうにか
また文章を書いている。

とはいえ怪我などの身体的な不具合や
もっと衝撃的な出来事が起こったならば、
感情の対象はころりと変わるし、
感情そのものが真逆になることもある。

なんて気分屋なんだ。

ある一瞬には
一つのことしか考えられないのだから、
ずっと憂鬱や苛立ちや不安を感じているようで
"通常"はそんなことはない。

たとえば、急にチャイムが鳴り、
宅急便を受け取り玄関に向かうとき、
子どもの喧嘩を咄嗟に止めに入るとき、
あの憂鬱と苛立ちと不安は…とは考えない。

日常のちょっとした面倒なことも、
ネガティブな感情から気を逸らす
ためと思えば、ありがたいことだ。
面倒なのは変わらないけれど。

そうやって何かをやっていくなかで、
またいろいろな感情が生まれて、
感情が上書きされたり混ざったりして、
感情を意識しない瞬間が積み重なって、
いつの間にかどこかへ行ってしまうだろう。

感情も移ろうものであって、
自分も絶えず変化しているのだから、
同じ感情が果てしなく続くことはない。


そうこうしていたら、
またネガティブな感情が近づいてきた。

君、私のことが好きなのはわかるけど、
そんなに側にいなくていいから、
ちょっと散歩でもしてきたらどうなんだい。