パソコンが故障した。
そもそも起動できない。
買いかえることになりそうだ。
私はスマートフォンを持っていないため、
iPadの出番なのだが、
あまりカスタマイズしてなくて使いにくい。
20代前半に3年くらい、インターネットを
するのにインターネットカフェや
図書館に行っていた時期があったけれど、
それからはあたりまえにある環境になった。
あくまでパソコンがメインだっただけで、
今、まったくつながっていないわけでは
ないものの、何かが欠けたように感じるのは、
それだけあたりまえに浸かっていたと
いうことなんだろう。
つい見てしまう端末が
一つ減っているというのは、
それをしている時間が空くということだ。
あれだけ溜まっていた子ども服を修繕が
順調に進みつつある。
パソコンに向かえない反動な気がする。
教育テレビの配信に吸い寄せられている
子どもたちの追及をかわしつつ、
iPadでも観れるけれど知らん顔しておく。
くぐもっていて粗い音質のラジオとともに
家のことなどをしていると、
何に縛られるのでもない軽やかな余白を感じる。
何かを持つということは、
大なり小なり重みをもたらすものであり、
ものにもよるが、"無いなら無いなりに"
なのかもしれない。
人の得手不得手や境遇なんかも。
とにかくパソコンをどうにかしようと
思いつつ、もう少しこのままでもいいかと
ぼんやり考えたりしている。