スピッツを聴き直していて、
気になったのが「若葉」である。
アルバム「とげまる」(2010)に
収録されており、
おそらく初めて聴いたのが2013年ごろ。
当時は「単なるバラードのうちのひとつ」
くらいに思っていたけれど、
今聴いてみると、ものすごい名曲だ。
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この曲は、
少年少女のころを振り返っている
歌のようだ。
MVが、小学生の男の子二人の
学校帰りに道草しているところを
描いているところからも、
そう思ってしまう。
優しい光に 照らされながら あたりまえのように歩いてた
扉の向こう 目を凝らしても 深い霧で何も見えなかった
親の庇護のもとに、
子どもながらの小さな心配ごとはあっても、
ただ毎日をあたりまえのように
過ごしていたあのころ。
大人になってからのことを想像しても、
よくわからない子どもだったな。
すっと続くんだと 思い込んでいたけど
指のすき間から こぼれていった
大人になんてならないと思っていたけど、
時が経つといつの間にか、
大人になっていた。
思い出せる いろんなこと
花咲き誇る頃に 君の笑顔で晴れた 街の空
涼しい風 鳥の歌声 並んで感じていた
つなぐ糸の細さに 気づかぬままで
この「君」は友人とも
恋人ともとれるけれど、
「友人」もしくは「好きな子」とした方が、
全体として意味が通じるだろうか。
わたしと「君」をつないでいたものなんて、
ただそこに居合わせたという偶然だけ。
この先もずっと過ごせるなんて、
そんな強いつながりではなかった。
そういった移ろいゆく関係の脆さと儚さを
巧みに「糸の細さ」と表しているところが、
わたしがこの曲に惹かれるポイントだ。
わりとスピッツの歌詞には、
「糸」が出てくるけれど、
この使われ方は切なくてかなり好み。
そういう細い糸でつながってた人たちの、
何と多いことだろう。
クラスメイトなんて、まさにそう。
学校を離れれば、ほどんど行方知れず。
そのときは、それなりに楽しいときを
過ごしたはずなんだけど。
人とのつながりって、
ある程度つながろうとする気がないと、
疎遠になってしまうものなのだ。
特に若いことの関係は。
でもそんなこと、
子どものころはわからないから
またやるせないんだな。
思い出せる いろんなこと
花咲き誇る頃に 可愛い話ばかり 転がってた
裸足になって かけ出す痛み それさえも心地よく
一人よがりの意味も 知らないフリして
裸足になって走る子どもらしいふるまいが、
歌詞に躍動感をもたらしている。
裸足でかけ出した痛みが
心地よいというのは、
子どものころによくあるように
自らを飾らずに人とぶつかって、
傷つくこともあったけれど、
それも気持ちがいいことのたとえだったり
するのかもしれない。
思い出せる すみずみまで
若葉の繁るころに 予測できない雨に とまどってた
泣きたいほど 懐かしいけど ひとまずカギをかけて
少しでも近づくよ バカげた夢に
今君の知らない道を 歩きはじめる
ここで現実に戻ってくるんですね。
花咲き誇るころに一緒にいた「君」は、
花が散って「若葉」が繁るころには、
どこかへ行ってしまった。
それが「予測できない雨」に
例えられている。
二人で過ごしたのは、
花が咲き、若葉になるまでの
短い時間だったようだ。
そんな風にむかしのことを
振り返ってみるけれど、
そうするのはひとまず終わりにして、
自分の夢に近づくために、
今できることをやろうとする。
もう「君」と話せることはないから、
これからのことを「君」に
知らせることはできない。
それでも、日々を生きていく決意を
感じさせるような終わり方だ。
泣けるぜ、スピッツ。
ライブ行ったことないけれど、
いつか行くしかない。