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「学び」が止まることはない

中学校の教員免許(社会)を持っている。
持ってはいるが、それ以上ではない。

大きい声では言えないが、
切実に教員を目指したわけではなく、
”取れる環境にあったので取った“、
"取れるものは取っておこう"であった。

民間企業へ就職が決まっていたが、
もし働いてみてどうしても
無理だった場合に、
採用試験を受けるという道を
残しておくという意味もあった。

試験も受けなかったし、
免許を取ってそのままなので
まさしく休眠しており、
取得した時点がピークであった。

私は目の前に現れたことについて
どういうことか理解するために、
頭の中にある過去の事例や誰かの主張を
引っ張り出して当てはめてみることがある。

しかし免許の内容についてのもろもろは、
参照したことがあまりない。
というか、まったくないかもしれない。

では、持っているからといって何になるのか。

免許を使って何もしていないのだから、
何にもならないのだが、
せめて免許取得の過程で学んだことはないのか。

ないことはない、
でもこれといったものがない。

むしろ仕事のことや心身とのつき合い方の
インパクトが強すぎる。

じゃあ、それらとの差は何かというと、
失敗の数だと思う。

仕事を始めてからの失敗や、
失敗とするかは微妙であるが
心のあり方の失敗によって、
むかしの不足分を補うかのように、
私はたくさんの失敗をしてきた。
そしてその失敗の後で、
随分といろいろなことを学んできた。

なんとなく講義を受け、
それとなく授業を組み立てて教え、
もちろん真剣にやったけれど、
だからといってそれだけだ。
ちっぽけに思えるのは気のせいではない。

失敗はできればしたくないと思っていたし、
重大な失敗は防ぐ仕組みが必要だけど、
やはり失敗は「学び」の材料になるのだ。
やっと心底納得した。

これこそ、免許取得までの一連の経験から
導いた今の自分のための「学び」だ。

いつ何が「学び」になるかは
わからないものである。

学ぼうと目を凝らして考えれば、
「学び」が止まることはない。

お題「私が持っている資格」