語る、また語る

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美味しいものを食べてください

祖母は栄養士だった。

山村に生まれ、手に職をという
周りからの勧めで当時としては
珍しく短大に進学し、
大きなブランクもなく定年以降も勤めた。

気が強かったため、家族としばしば
衝突しすることもあったが、
たくましい人である。

もう私のこともわからないだろうけど、
祖母が現役だったころ、
年に数回、自分宛てに小包が届いた。

中身をあまり覚えていないのだが、
いつかに桃があったことは記憶している。
働き始めたばかりで、経済的にゆとりが
あるわけではない孫のために
桃を入れてくれたのだと思うと、
何ともありがたいことだ。

決まっていつも入っていたのは、
ちょっとしたお小遣いだった。
(宅配で現金を送ってはいけない)

手紙が添えられているのも定番。
祖母は達筆で読めないこともあったが、
暑いとか寒いとかの季節のこととか、
身の回りのことが書いてあった。

そして必ずあったのは、「美味しいものを
食べてください」の文字だ。

おそらくお小遣いを使ってということ
だったのだろう。
特に美味しいものを食べるわけでもなく、
たぶん貯金していたのだが、
使ってもよかったかもしれないと
振り返ったりしている。
美味しいものを食べるために使う、
それこそが使い所ではなかったかと。

仕事で不手際があったり、人間関係に
揉まれたり、世の中に理不尽さを
感じてもどうにもできないことだったり、
困難さを感じているときに、
美味しいものを食べて穏やかさを得る。

今はそうやって自分をもてなすことは
自分のためになるとわかるが、
むかしは自分は美味しいものを
食べるに値しないとか真面目に考えていた。

誰だって気分が沈んだり、悲しくなったり、
やり切れなかったりすることはあって、
美味しいものを食べて持ち直すこともあるし、
さらに深く落ちないように
現状を維持できることもある。

美味しいものを美味しいと
思えないときのは休めのサインでもある。
美味しいものを食べたい、食べて美味しいと
思えるのは、自分のコンディションの
バロメーターにもなりますね。

とにかく、美味しいものを美味しく食べながら、
美味しいと思える身体も保ちながら
やっていけってことだ。
別に高級なものでなくても、自分にとって
美味しいものでいいんだろう。

祖母の真意は不明だが、私はそう受け取り、
思いを受け継いだ気でいます。


ちなみに、できることなら美味しいものに
囲まれていたいのは山々なのだが、
財布と身体から苦情が来るのは知っている。