語る、また語る

いつもにプラスα

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自分で選ぶという視点

行きたくもない誘いがあったとして、
けれども、事情により
参加しなくてはならないことがある。


たとえば職場の個人的な集まりなど。

なんか出なきゃいけない雰囲気が
あったりして、断りづらかったものだ。

行かなかったら、職場の人に
いいようには思われなさそうと、
思っていたというのもある。

でも、この「いいように思われたいから、
断らない」というのは、
相手にフォーカスした都合のいい言い訳だ。

「相手が誘ってきたから、仕方なく」と、
行くのを選んだのは自分なのに、
行くことになったのは相手のせいで、
自分は巻き込まれただけという、
受け身のような意識だ。

そうではなくて、「断りたいけれど、
いいように思われたいから、
断らない方を自分が選んだ」と、
能動的に捉えたいものである。

とはいえ、わたしは長いこと前者で、
「自分が選んだ」という視点を
持つようになったのは、
ここ一年くらいのことだ。

「どうして自分だけ」は、
行き詰まったときの常套句、
今も状況が状況なら同じパターンに
なりそうではあるが、
それに襲われるのではなくて、
一歩引いて自分を観察するくらいは、
できるんじゃないかと実感している。


たしかに、自分ではどうしようも
ないことも起きる。

しかし、自分が選べることであって、
「自分が選んだ」という前提があれば、
クヨクヨすることは、減る気がしている。
たとえ選びたくない方を選んでも。


大きなものから小さいものまで、
毎日は選択の連続である。

自分で選んで、
かつそれを自分でもわかっている状態は、
覚悟のようなものかもしれない。