先日のブログの話*1ではないが、
すべてをさらけ出している人はいない。
わたしはわりと自分の母と話す方だが、
「言いたくないから言っていない」ことも
たくさんある。
父はというと、父しか知らないことも、
わずかにある*2。
兄弟なんて、
一緒の家に住まなくなってからは、
おたがいのことを
ほとんど知らないような状態だ。
知っているのは、どこに住んでいて、
どこで働いているかくらいで、
多くは母や父を介して知ったものだ*3。
身近な人でさえこのような感じなので、
たとえば、友人や知人、職場の人、
暮らしのなかで少しずつ絡みのある人たちに
見えているものは、
わたしのほんの一部に違いない。
反対であっても同じである。
わたしは、
その人たちのふるまいや会話だけで、
かれらの何がわかるのだと思う。
別にすべてをわかってもらう必要もないし、
わたしが友人などの
すべてを知る必要もない。
今でさえ、「人を困らせること」について、
名称がつけられ、
社会で広く認知されるようになってきたが、
いろいろな人づきあいにおいて、
「言いたくないこと」を、
無遠慮に聞かれることがたまにあるし、
過去にもあった。
わたしは、そういうときの切り抜け方が
下手だったので、うろたえるか、
馬鹿正直に話していたものである。
また自分自身を振り返ってみても、
相手の領域にずかずかと入っていって、
それで仲良くなれたと、
勘違いしていたこともあった。
なんというか、若い。
別に相手のすべてを知らなくても、
気分よくに過ごせるのであれば、
それで、十分ではないか。
多少ドライだから心地よいってことも、
大いにあるのだ。