仕事に病的に没頭しすぎて、
暑さや寒さのみならず、
季節を感じることも上の空だった。
夏はこんなに汗をかくほど暑かったのかと、
体に目を向けられるようになった
自分をかみしめている。
季節の感覚を楽しむことを覚えつつある。
随分もったいないことをしてきたものだ。
体の感覚は心の感覚と連動している。
あのころは、人の心遣いにも
気づいていなかったかもしれない。
いや、心遣いを歪んで解釈して、
勝手にネガティブになっていたのかも
しれない。
今、ネガティブなとき触れた、
ちょっとした、人の心遣いがじんわりしみる。
たとえるならば、小学生のころに、
近所のおばあちゃんから「これ持って行って」と
ビスケットをティッシュに包んで
手に握らされたときの、
もしくは小さなお店で買った菓子などを
丁寧に袋に入れて渡されたときのようである。
放っておくという逆の心遣いもある。
よい出来事ばかりではないけれど、
人の心遣いは、あるところにはあるのだと思った。
心遣いをされたという思い込みで
気分がよくなってしまうことがある。
でも私たちは、幻想を想像することで前向きに
なれるところがあるのだから、
おめでたい人だと笑ってやってほしい。