語る、また語る

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どこまでも自分は自分

小説が読みたくなって、
青山七恵さんの作品をいくつか読んだ。

なぜ青山七恵さんだったのかというと、
あ行から作家さんを調べて、
なんとなくおもしろそうだと
思ったからである。

何を読むかということで、
あ行から順に調べるという機械的な感じが
自分らしいといえば自分らしい。

どうせなら古いものから順にということで、
「窓の灯」という本から読んだ。
絵になるような小説で、
映画が一本撮れそうだと思った。

読み終えてさらにページをめくると、
プロフィールが印字されていた。

1983年、埼玉県に生まれる。
現在、22歳。
2005年、本作で第42回文藝賞を受賞する。


この本は2005年に書かれたものだから、
書かれているように、当時青山さんは22歳だ。
若いという印象である。

1983年生まれということは、
1986年生まれの私より3歳年上だ。
じゃあ今年39歳になるのかなどと、
相手の年が気になるところが、私にはある。

自分の22歳のときを思い返す。
就職活動を終えて、アルバイトと卒論、
あと実習にも行った。
友人ともよく飲んだし、
自由に過ごしていたものだ。

一人の立派な作家さんと、
自分を比べること自体ナンセンスだが、
私が22歳のときに
もちろんこんな小説は書けないだろう。
(書こうともしていないし)
若いのにやはり作家さんは違うなと思った。

さきほと22歳という括りで考えたように、
私は年齢で人を判断してしまうところがある。

同時に、年齢でその人の
何を判断できるのかとも感じる。

子どもと二十歳の大人だったら
そりゃあ違うだろう。
でもある程度の年齢になると、
同じ年齢だからといって、
誰一人として同じ人生を生きてはいないのだ。

20代半ばのころは、
「自分より年上なのにあの人の
あの行動はいただけない」とか、
「同じ年なのにそんなことも
通じないのか」とか、
非常に生意気なことを
思っていたものである。
年齢を基準にして、
何をそんなにもやもやしていたんだろうか。

いろいろな人がいる。
社会に出てだんだん身に染みて
わかってきたことだ。

同じ年でも、そうでなくても、
相手はどこまでも相手で
自分はどこまでも自分なのだ。

第136回芥川賞受賞作↓
読みやすかった。