語る、また語る

いつもにプラスα

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とてつもなく重い

待ち合わせから十分を過ぎても相手が来ないと、ほんとうに約束は今日だったのだろうかと不安になる。メッセージのやり取りを見直して確かめたり、もしかしたら来る途中に何かあったのではと疑う。とうとう相手が到着、ごめんスマホを家に忘れて連絡できなかったなどと言われ、いろいろ思ったことはあったけれど、とにかく来てよかったが大部分を占めた。そんなことより何を飲もうかとメニューを渡す。

相手が待ち合わせに遅れるとなっても、来れるならその後に予定がなければ待ちたい。たとえ相手が待ち合わせ時間に起床したとしても、支度をして出発して一時間くらいの間柄ばかりだったからだろうか、一時間以上待ったことはない。むしろ一時間待ったのはおそらく一度だけだ。これから一時間待つことになったとしたら、待ち合わせ時間の十分を過ぎたあたりから、はじめに書いたような感情が入り乱れるだろう。あとどのくらい遅れる、と連絡が来たらいいのだけど、手段がなかった場合はどうしようもない。

かくいう自分も三十分から一時間くらい友人を待たせてしまったことがある。いずれも二十代のころで、うっかりではなく前の予定の算段が破綻していて、結局ずるずると遅れた身勝手なものだった。自分が遅れると言うと、買い物をしておくとからとまったく快い返事があり、むしろ気をつけてきてほしいとか、ゆっくりでいいからとか言われて、ありがたいしかなかった。そういう友人たちのおかげで今がある。

友人たちが待ってくれた三十分や一時間が、とてつもなく重いものに思われる。その時間を直接友人たちに返すことはできないから、常習的なものを除いて、これからも自分は相手が来るのを待つのだと思う。