他人に期待をするなと親に言われて育ったけれど、公立中学を卒業してからは、何とも過ごしやすい環境にいた気がする。
偏差値で分けられて地方に住んで、自分のつき合いたい人とだけつるむ、何だか上手くいっているように思える。期待して外れることばかりではないと知り、返って欲を膨らませることになった。でも期待外れなことばかりだったなら、自分はたちまちぺしゃんこになっていただろうし、あのときはそれでもよかったのだろう。
変えられることに力を注ぐ。私がそうであるように、自分が変わろう決めないと人は変わらないのだ。たとえ誰かに頼まれても。
下園壮太さんの著書「自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術 」に、他人は変えられないから、他人に怒りを持ったときには自分の身体を休ませて感情をケアするようにとあった。
反対に、他人は変えられないとしながらも、こちらの意見は出していくということもできる。
いずれにせよ「他人は変えられない」と前置きしておいて、自分は数ある手のうちの一手を打っているくらいの気持ちになってみるというところに至ったものの、どこかで他人を変えようとしている自分もいる。
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