日々湧いてくる感情について、
思いを巡らせたことはないだろうか。
私はメンタル不調の経験から
感情を感情として認識し、
興味を持つようになった。
それまでも感情はあったはずだが、
あたりまえすぎて、またあまりにも
自分と一体化していて気づかなかった。
感情を定義する四つの仮説
感情について、四つの仮説がある。
『感情力―自分をコントロールできる人
できない人』(フランソワ・ルノール&
クリストフ・アンドレ、高野優訳)に
書かれていたものだ。
仮説1—感情は遺伝である(感情=進化説)
【提唱者】ダーウィン
狩猟採集生活をしていた原始時代に、厳しい自然環境のなかで生き残ること、また子孫を残すために人に感情が備わった。たとえば、恐怖は危険の回避に、怒りは敵を倒すの役立つ。
仮説2—感情は身体的な反応である(感情=身体説)
【提唱者】ウィリアム・ジェームズ
身体の反応が感情を呼び起こす。
恐怖を感じるから震え、悲しいから泣くのではなく、震えるから恐怖を感じ、泣くから悲しくなる。
仮説3—感情は思考である(感情=認知説)
【提唱者】エピクテトス
ある出来事が起こった時、その出来事は快か不快か、予測していたかいなかったか、コントロール可能か不可能か、自分の責任か他人の責任かといったことを瞬時に判断し、その結果、感情が生まれる。
・予測していないー不快ーコントロール可能ー他人に責任=怒り
・予測していたー不快ーコントロール可能=不安 など
仮説4—感情は文化である(感情=文化説)
【提唱者】マーガレット・ミード
人々はある社会文化のなかで、どういう時にどういう感情を抱くべきかというのを学んでおり、その感情をどう表し、それがどう受け止められるかは、その文化の約束ごとによって決まる。
たとえば、人前で泣くことが同情を誘う文化もあれば、自己抑制力に欠けるという理由で忌避される文化もあるため、文化があってはじめて感情が成り立つことになる。
感情というものは、
四つのどれか一つのみでは
説明はできないさまざまな
持っているそうだ。
感情を活かす
感情の基本を定めることで、
それぞれの活かし方も載っていた。
まず、感情=進化説の立場からは、
感情は人の生活の役に立つと考える。
特にネガティブな感情は、
感じること自体好ましくないと
思うこともあるが、原始から受け継がれた
自分を守るためのものならば、
ありがたく思えなくもない。
感情=身体説は、身体反応を
コントロールすることで、感情も
コントロールできると考える。
書かれているように、たとえば激しい感情や
病的な感情を、微笑みを浮かべることで
癒すことはできないが、軽いものや
ちょっとしたことであれば、
効果がありそうだ。
落ち込んだときに、人と話したり
エンタメ作品に触れて笑うと、
少し気が楽になったりすることはある。
感情=認知説は、考え方を変えることで、
感情をコントロールできると考える。
この理論は、認知療法をはじめとする
さまざまな心理療法に応用されている。
何らかの出来事を自分の責任か、
自分以外の責任かと、どちらか片方だけに
寄った考え方をすると、
極端な自責や怒りを招くことになる。
ものの捉え方や思い込みが
思考ひいては感情に影響するならば、
柔軟な思考が柔軟な精神を生むといえる。
考え方を鍛錬する上での指針になりそうだ。
最後に、感情=文化説は、
感情の表出や解釈の際に
文化的な背景を考えるとある。
文化というと国や民族をイメージするが、
組織や地域によっても広い意味で
文化の違いはある。
相手の感情に驚いたり戸惑ったり
したときは、相手の置かれている・
いた"文化"が相手をそうさせて
いるのかもしれないと想像すると、
いくらか寛容になれるかもしれない。
おわりに
感情に親しみ持ち、広く捉えて、
また感情を使っていく。
これらの仮説とその活用は、
感情とのつき合いの一助になるだろう。
感情はありがたいもので、
ときにありがた迷惑だったりもするが、
それでも感情に引きつけられる。
感情を持つ者としての宿命を感じる。