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吉野弘「祝婚歌」~詩との戯れ~

30代半ばになって、
詩を読むようになった。

詩は短い時間で読むことができ、
何かしらのエッセンスのようなものを
サクッと得ることができる。

たまに、何を表わしているのか、
まったくわからないものもある。

でも、そのときは「わからない」こと
自体を楽しむ。
わからないことが
おもしろくなるような感覚である。

直接的なもの、間接的なもの、
素直なもの、ひねくれたもの、
やわらかなもの、硬い雰囲気のもの、
詩は実に多種多様である。

わたしが詩を読むようになったのは、
吉野弘さんの「祝婚歌」が
きっかけである。

数年前にいろいろ行き詰まっていて、
気持ちの切りかえができるような、
没頭できるものがほしかったとき。

読むのにまとまった時間が必要で、
ストーリーをすべてつかまないと、
趣旨がわからない小説ではなく、
数分あれば読める詩を探そうと思った。

あのとき、人生で初めて書店の
詩のコーナーに行った。

いろいろな詩集をめくりながら、
何か一冊買って帰れるようなものを探す。

いくつか見てから、
何気なく手に取ったのが、吉野弘さんの
「二人が睦まじくいるためには」だった。

巻頭にあったのが、「祝婚歌」。

夫婦にむけての詩だろうとは思ったけれど、
人と人にあてはめることもできそうな
あたたかいことばが並んでいた。

二人が睦まじくいるためには、
愚かでいること、
立派すぎないこと、
二人のうちどちらかがふざけていて、
ずっこけている方がいいと。

互いに非難することがあっても、
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなる方がいいと。

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いている方がいい

そのときの心情に
迫ってくるものがあった。

わたしはおそらく
完璧主義なところがあったし、
正論で相手を傷つけたこともあったから。

詩を読んで泣くことになるなんて。

「祝婚歌」はこのように締めくくられる。

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


「生きていることのなつかしさ」という
ところは、ひと際目を引くものがある。

なつかしさとは、過去を思い出す以外に、
親しみや心がひかれるという
意味もあるらしい。

生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる日はあるだろうか。

あるかな。たまにはね。

「祝婚歌」に感銘を受けたわたしは、
迷わず詩集を買って帰った。

掌サイズのこじんまりしたその詩集は、
本棚にちょこんと立って、
いつでもわたしを待っていてくれている。

ちなみに吉野弘さんの「夕焼け」は、
教科書にも載っているので、
読んだことがある方も
いらっしゃるかもしれない。

満員電車で席をゆずるやさしい娘と
その風景を描いた有名な詩である。

この詩集にも入っていたが、
内容は覚えていても、作者の名前は、
忘れていましたね。

そんなもんですね。